誰かに怒られたわけじゃない。
誰かに強く否定されたわけでもない。
でも、
「大人なんだから」
「社会人なんだから」
「普通はこうするでしょ」
「ちゃんとしてないとダメでしょ」
そういう空気だけが先にある。
そして、その空気を自分で吸い込んでしまう。
誰にも言われていないのに、自分で自分に言い始める。
ちゃんとしなきゃ。
ミスしちゃダメだ。
空気を読まなきゃ。
子供っぽい自分を隠さなきゃ。
でも、そんなものずっと出来るわけがない。
人はミスをする。
勘違いもする。
ケアレスミスもする。
明後日の方向の返事をすることもある。
空気が読めない日もある。
子供っぽいところなんて、いくつになっても残る。
それを全部なくして「ちゃんとした大人」になろうとする方が、たぶん無理なんだと思う。
しかも厄介なのは、誰かがちゃんと指摘してくれる関係なら、まだ救いがあるってこと。
「お前それ違うわ」
「また変なこと言ってる」
「まあ、そういうとこあるよね」
そう言ってくれる人がいれば、それは責められているだけじゃない。
その人の中で、自分の失敗やズレが“キャラ”として置かれている。
笑いにしてくれる。
フォローしてくれる。
関係の中で回収してくれる。
でも、そういう人がいない場所では、自分で全部処理しないといけない。
ミスした自分。
ズレた自分。
ちゃんと出来なかった自分。
空気を読めなかった自分。
それを誰も笑ってくれない。
誰も拾ってくれない。
だから、自分で自分を責めるしかなくなる。
そこで生まれるのが、
「ちゃんとしなきゃ」という孤独なストレスなんだと思う。
他人に怒られるストレスじゃない。
自分が自分に圧をかけるストレス。
そして、その圧に対して、もう一人の自分が反発する。
「いや、仕方ないじゃん」
「そんな完璧に出来ないじゃん」
「こっちはこっちなりにやってるんだよ」
「ちゃんとなんて無理なんだよ」
この押し合いが終わらない。
自分で自分を責めて、
自分で自分に言い訳して、
自分で自分に反発する。
誰にもぶつけられない。
誰にも笑いにしてもらえない。
だから、発散できないストレスになる。
でも、ここで言いたいのは・・・
もう、ちゃんと出来ない自分を認めてもいいんじゃないか?
ちゃんとしようとするのは自由。
大人として振る舞おうとするのも自由。
社会人として最低限やるべきことはある。
でも、
ちゃんとしないと存在してはいけない
ちゃんと出来ない人間は認められない
子供っぽさを残している自分はダメだ
そこまで行くと、それはもう呪いだ。
ちゃんとしてないよって笑ってくれる人がいるなら、それは最高だ。
ちゃんと出来ない部分ごと、関係の中に置いてくれる人だから。
でも、ちゃんとしないとダメだとしか見てくれない人。
ズレやミスや子供っぽさを、ただ未熟としてしか見ない人。
そういう人とは、少し距離を取ってもいい。
だって、ちゃんとなんて出来ないんだもの。
漫画も好きだ。
遊びも好きだ。
くだらないことで笑いたい。
大人っぽく正しく振る舞うより、楽しく空気を作る方が合っている。
ケアレスミスも勘違いも、完全には直らない。
空気に飲み込まれて黙るくらいなら、自分で空気を作る方がまだ生きている感じがする。
だから、こう言ってしまっていいと思う。
ちゃんとした大人になれなくてもいい。
ちゃんとしてない自分を笑ってくれる人のそばにいればいい。
ちゃんとしろとしか言わない人からは、離れてしまえばいい。
ちゃんとすることより、
ちゃんとしてない自分を殺さないことの方が、きっと大事だ。
シンプルフレーズ
ちゃんと出来ない自分を責めるより、
ちゃんとしてない自分を笑ってくれる人のそばにいればいい。

