誰にも求められず、必要とされない。
こんな楽なことは無い。こんなに自由なことは無い。
何のしがらみもなく、誰のことを気にする必要もない。
そして、1人にある。
その時間は、とても退屈だと痛感する日々だ。
求められない時、人はそこに居るだけに耐えられない
人は、誰かに求められる視線の中で、自分を作り上げていくんだと思う。
「こうしてほしい」
「こうあってほしい」
「こういう人でいてほしい」
そんな期待や役割があるから、私たちは自分の形を作ることが出来る。
仕事なら、仕事をする自分。
家庭なら、家族としての自分。
友人なら、友人としての自分。
恋人なら、恋人としての自分。
誰かに求められるから、そこに立ち位置が生まれる。
役割があるから、振る舞い方が分かる。
期待があるから、応え方を探せる。
そう考えると、求められることは窮屈だけど、同時に安心でもあるんだと思う。
「素直」も、他人がいるから必要になる
よく「素直になれ」と言う。
でも、素直っていうモノは、本当に自分一人だけで必要になるものなんだろうか?
私は違うと思う。
一人なら、素直も本心もいらない。
ただ食べて、寝て、好きにして、生きるだけでいい。
・・・でも、他人がいる。
関係がある。
社会がある。
だから、探り合いが生まれる。
忖度が生まれる。
線引きが生まれる。
そして、相手が望んだ答えじゃない時に、
「素直になれ」
「本当のことを言え」
「ちゃんと向き合え」
と求められる。
つまり、素直とは、自分の中に最初からある綺麗な何かというより、
他人との関係の中で求められる態度なんだと思う。
求められない時、人は何者にもなれない
求められている時、人は自分を作ることが出来る。
良い人を演じることも出来る。
普通の人を演じることも出来る。
頼れる人にも、優しい人にも、ちゃんとした人にもなれる。
だけど、何も求められない時はどうだろう?
役割がない。
期待がない。
答えがない。
演じる相手もいない。
その時、人は「素直」と同じように、何かを表現する必要すらなくなる。
ただ、そこに居るだけ。
でも、人はその「ただ居るだけ」に耐えられないんだと思う。
何かをしていないと不安になる。
誰かに必要とされていないと、自分の形が分からなくなる。
誰かの役に立っていないと、そこに居る理由を失ってしまう。
ただ在ることが、一番難しい
人は、自分のためだけに生きられるほど強くない。
誰かに求められて、
誰かに必要とされて、
誰かの期待に応えて、
ようやく自分の立ち位置を確認しているところがある。
だから、求められない時が怖い。
そこには、正解も役割もない。
褒められることも、責められることもない。
ただ、自分がそこに居るだけ。
でも、その「そこに居るだけ」が難しい。
何者かになろうとしなくてもいい。
何かを証明しなくてもいい。
誰かに認められなくてもいい。
そう言われたところで、簡単には信じられない。
だって私たちは、求められる視線の中で、自分を作ってきたから。
だから、求められない時、
人は自分の立ち方を失ってしまう。
シンプルフレーズ
人は、求められる視線の中で自分を作る。
でも、求められない時は、ただそこに居るしかない。
そして人は、その“ただ在るだけ”に耐えられるほど、強くはない。



