先日、会社の同僚の赤ちゃんを見せてもらう機会があった。
赤ちゃんって、なんであんなに可愛いんだろうね。
目が合うと、ひたすら見つめてくる。
ウルウルの瞳で、真っすぐに見つめてくる。
本当に真っ白で、真っ直ぐな瞳。
その瞳があまりにも綺麗で、
見つめるのを躊躇いたくなるくらいだった。
正直、少し辛くなるくらいだ。
きっと私は、何か分からない負い目を感じてしまっているんだろう。
どうしようもない感情。
分からないね。
他人の子供だから、可愛いと思える
赤ちゃんを見て可愛いって思えるのは、
親としての責任を負わず、
無責任な他人として、可愛い部分だけを見ることが出来るからだと思う。
泣いたら?
オムツ?
ミルク?
夜泣き?
病気?
将来?
お金?
親としての責任?
そこは全部、親任せだ。
私はただ、良いトコロだけを見させてもらっている。
綺麗な瞳。
小さな手。
触ったら壊れてしまいそうな儚さ。
ただただ愛でることが出来る余裕。
これが余裕なんだろう。
親として赤ちゃんを見た時は、きっと違う。
不安や心配。
責任。
親としての自分の像。
ちゃんと育てなきゃいけないという重さ。
その子の未来まで背負うような覚悟。
見るだけと、手にした時では別物なんだと思う。
それでも、可愛いものは可愛い
でも、それでも赤ちゃんは可愛い。
それは、やっぱり純粋に赤ちゃんの可愛さがあるからだろう。
白紙のキャンバスのような透明感。
まだ何も書き込まれていないような可能性。
無垢な瞳。
真っ白な存在感。
だからこそ、無垢な目線で見ることが出来れば、
癒しであり、天使であり、宝石のように感じられるんだと思う。
ただ、私はその瞳を受け止めきれなかった。
ただ可愛いと思えばいいのに、
ただ癒されたと思えばいいのに、
どうしてもその瞳が、鏡のように感じられてしまった。
見ているつもりが、見られていた
無責任な他人として赤ちゃんを見ているはずだった・・・
でも、その真っ直ぐな瞳と向き合った時、
私は「見つめる側」から、
「見つめられる側」になってしまった気がした。
自分の顔を見られているんじゃない。
自分の今だけを見られているんじゃない。
もっと奥。
もっと背後。
自分の中の暗い部分。
弱さ。
負い目。
逃げたこと。
背負えなかったこと。
守れなかったこと。
そんなものまで、見つめられているような気がしてしまった。
赤ちゃんは何も責めていない。
何も知らない。
何も判断していない。
それなのに、私は勝手に怯えてしまう。
手に入らないから、美しく見える
触れられないから、美しく見える。
手に入らないから、眩しく見える。
手の届かない星のように。
壊れてしまったガラスの破片のように。
ブラウン管の中にある欲しいモノのように。
欲しいけど、手に入らない。
近づきたいけど、壊してしまいそうで怖い。
そして、もし手に入れたら、今度はその重さに負けてしまう気がする。
手に入らない時は、無責任な自分に負ける。
手に入れたら、負いきれない自分に負ける。
この矛盾が辛いんだ。
弱さを痛感する。
自分の弱点を見られることに耐えられない。
赤ちゃんは、儚い鏡だ
赤ちゃんって、本当に儚い鏡のようだ。
ロックの白紙の心は、
白すぎるが故に、世界の黒さを際立たせてくれるんだろうね。
赤ちゃんの瞳も同じなのかもしれない。
あの無垢な瞳は、私を責めているわけじゃない。
ただ真っ直ぐに見ているだけ。
でも、その白さが、
私の中にある黒さや弱さを浮かび上がらせてしまう。
だから可愛い。
だから眩しい。
だから少し辛い。
それでも、あの瞳を見て可愛いと思えたことは、
きっと悪いことじゃないんだと思う。
私は弱い。
でも、弱いからこそ、あの儚さを愛おしいと思ったのかもしれない。
シンプルフレーズ
赤ちゃんは、儚い鏡だ。
無垢な瞳は、私を責めない。
ただ、白すぎるキャンバスのように、
世界の黒さと、私の弱さを映えさせてしまう。



