日々の連続
同じ朝を起きて、同じ一日を過ごして、同じ時間が過ぎていく
毎日同じだと思って生きている。
それが悪いことじゃない。
でも、その中でも・・・変わっている人が居る。
成長している人も居れば、変わろうとしている人も居る。
そして、変わっていく自分もいれば、変わらない自分もいる。
今日をちゃんと生きているかどうか なんだと思う。
髪型を変えた。
髪色を変えた。
アクセサリーを着けた。
ネイルや化粧を少し変えた。
そんな些細な変化に気が付ける人って、本当に凄いと思う。
別に、気付いてほしくて変えているわけじゃない。
自分だけの楽しみかもしれない。
ただの自己満足かもしれない。
それでも、誰かに
「髪変えた?」
「今日、雰囲気違うね」
「それ似合ってるね」
って言われたら、やっぱり少し嬉しい。
少なくとも私は嬉しい。
毎日見ているから、気付けないこともある
人の変化に気付けるかどうかって、単純に観察力だけの話じゃないと思う。
毎日顔を合わせているからこそ、気付けないこともある。
毎日見ていると、その人の姿が日常の一部になってしまうから。
昨日と今日を比べていない。
その人を見ているようで、日々の流れの中に置いている。
そうなると、人も、景色も、季節も、自分自身さえも、全部が背景になってしまう。
昨日のその人。
今日のその人。
昨日の自分。
今日の自分。
その区切りを持たずに、日々をただの連続として流していると、変化なんて見えなくなるんだろう。
変化に気付ける人は、時間を見ている
人の変化に気付ける人って、その人だけを見ているんじゃない。
きっと、時間を見ているんだと思う。
昨日と今日の違い。
季節の移り変わり。
空気の変化。
表情の揺れ。
声のトーン。
身に着けているものの違い。
そういうものを、ちゃんと「今日」として受け取っている。
時間は有限だ。
誰もが同じように持っている、唯一の資本であり、才能なんだと思う。
若さだってそうだ。
若さとは、体力や見た目だけじゃなく、使える時間の多さでもある。
以前のブログでも、若さっていう才能について書いたけど、それなんだよね。
でも、同じ1時間でも濃度は違う。
考えている時間。
感じている時間。
悩んでいる時間。
言葉にしようとしている時間。
誰かの変化に気付いた時間。
そういう時間には濃度がある。
一方で、ただ終わるのを待っている時間もある。
仕事が終わるのを待つだけの時間。
早く帰りたいと時計だけを見る時間。
何も感じず、何も見ず、ただ流れるのを待つ時間。
同じ時間なのに、濃さがまるで違う。
捉え方じゃなく、捉えられるかどうか
よく「物事は捉え方次第」って言う。
それはそれで間違っていないんだろう。
でも、私は少し違う気がしている。
大事なのは、捉え方じゃなくて、
捉えられるかどうか?なんじゃないか。
今という時間を、ちゃんと感じられるか?
昨日と今日の違いを、ちゃんと受け取れるか?
人の変化を、ただの外見の違いではなく、その人の今日として見られるか?
そこなんだと思う。
髪型を変えた。
髪色を変えた。
アクセサリーを変えた。
ネイルを変えた。
化粧を変えた。
それは些細なことかもしれない。
でも、その些細な変化には、その人の今日がある。
少し気分を変えたかったのかもしれない。
少し自分を好きになりたかったのかもしれない。
何となく新しい自分を試してみたかったのかもしれない。
そんなもの、本人にしか分からない。
でも、気付いてもらえたら、少しだけ嬉しい。
「見てもらえていたんだ」って思えるから。・・・私はね。
言うか、言わないかの難しさ
ただ、人の変化に気付くことは、正直めんどくさい。
気付いたとしても、言って良いのか迷う。
ハラスメントっぽくならないか考える。
余計なお世話にならないか不安になる。
逆に気付かなかったら、それはそれで面倒になることもある。
このバランスが本当に難しい。
だから、言わない方が無難。
それも分かる。
でも、私は思うんだ。
言ってもらえたら嬉しいことは、誰かにも言ってあげたい。
もちろん、何でも言えばいいわけじゃない。
痩せた、太った、疲れている、老けた。
そういう言葉は、気付いても言わない優しさがある。
でも、相手が楽しんでいる変化。
自分で選んだ変化。
髪型や色、アクセサリーやネイルみたいなものなら、優しく触れてもいいんじゃないかと思う。
「今日、雰囲気いいね」
「それ似合ってるね」
「なんか素敵だね」
それくらいでいい。
大げさじゃなくていい。
踏み込みすぎなくていい。
変化に気付くことは、今日を大切にすること
人の変化に気付ける人は、きっと優しい人なんだと思う。
でもそれは、ただ気が利くとか、観察力があるとか、そういう話だけじゃない。
昨日と今日を比べられる人。
日々をただの連続として垂れ流さない人。
時間を積み重ねとして感じられる人。
相手の今日を、ちゃんと今日として見られる人。
そういう人なんだと思う。
時間が人を作るんじゃない。
時間を積み重ねていると実感した時に、人の中に濃度が生まれる。
その濃度が、自分の変化にも、他人の変化にも、世界の変化にも気付かせてくれる。
人の変化に気付くって、
その人を見ているということ。
そして、今という時間を、ちゃんと生きているということ。
だから私は、できるなら気付ける人でいたい。
そして、距離感を間違えないようにしながら、優しく言える人でいたい。
誰かの変化に気付くことは、
その人の今日に、少しだけ光を当てることだと思うから。
シンプルフレーズ
人の変化に気付ける人は、他人を見ている人じゃない。
今日という時間を、ちゃんと見ている人なんだ。


