人を好きになると、不思議なくらい自分に関心が戻ってくる。
服装も、言葉も、週末の予定も、少しだけ丁寧になる。
もしかすると私は、恋人が欲しいんじゃなくて、「好きな人がいる時の自分」を求めているのかもしれない。

  人を好きになると、生活に覇気が戻る

人を好きになるって、本当に不思議だと思う。

好きな人がいるだけで、少し生活に覇気が出る。
週末の予定を考える。
服装を少し気にする。
髪型を整える。
言葉遣いや立ち居振る舞いまで、ほんの少し丁寧になる。

普段なら面倒くさいと思うことでも、

「あの人に会うなら」
「あの人に見られるなら」
「あの人と話すなら」

そう思うだけで、なぜか出来てしまう。

 

これは、ただモテたいという感覚とは少し違う。

モテたいは、不特定多数に向いている。
誰かに評価されたい。
誰かに認められたい。
誰かに良く見られたい。

もちろん、それも人間らしい感情だと思う。

 

でも、好きな人に好かれたいという気持ちは、もっと具体的だ。

誰でもいいから認められたいんじゃない。
その人に、見つけてほしい。

その人の目に映る自分が、少しでも恥ずかしくない自分でありたい。

 

だから、人を好きになると、自分を見始める。

これは、とても大きなことだと思う。

  好きな人を求めるのは、自分を求めているから

私は、ただ恋人が欲しいわけじゃないのかもしれない。

もちろん、恋人という存在に憧れがないわけじゃない。
一緒に出かけたり、他愛ない話をしたり、弱音を吐いたり、ただ隣にいてくれる誰かがいることに救われる時もあると思う。

でも、それだけじゃない。

 

もっと正確に言えば、私は
好きな人がいる時の自分を求めている
のかもしれない。

 

誰かを好きでいる時の自分。
少し背筋が伸びる自分。
少し良くありたいと思える自分。
言葉を選ぶ自分。
自分の姿や態度に関心を持てる自分。

そういう自分を、どこかで求めている。

何も好きじゃない。
誰も好きじゃない。
他人に興味もない。

そんな状態になると、自分自身にすら関心を持つことが難しくなる時がある。

自分を磨く理由がない。
自分を知ろうとするきっかけがない。
どんな自分でいたいのかも、ぼんやりしてしまう。

朝起きて、仕事に行って、帰って、寝る。
生活は出来る。
生きることも出来る。

 

でも、自分に熱が戻らない。

何のために服を選ぶのか。
何のために言葉を整えるのか。
何のために自分を少し良く見せたいと思うのか。

 

その理由が見つからない。

でも、好きな人がいると違う。

あの人にどう見られているだろう。
この言葉はどう届いただろう。
この態度は雑じゃなかっただろうか?
もう少し魅力的でいられないだろうか?

 

そうやって、相手の目を想像する。

そして、相手の目の中に、自分を見つけようとする。

だから、人を好きになることは、相手を求めることでありながら、同時に、自分を求めることでもあるのだと思う。

  他人の目の中に、自分を見ている

人は、自分一人では自分を見切れない。

自画像を描く時に、鏡が必要になるように。
自分の声を録音して初めて、思っていた声と違うことに気づくように。
自分の姿も、自分の言葉も、自分の印象も、自分だけでは分からないことが多い。

だから、人は他人の目を借りる。

好きな人がいると、その感覚はもっと強くなる。

あの人の前の自分は、どんな人間なんだろう・・・?
あの人から見た私は、優しく見えているだろうか?
面白く見えているだろうか?
重く見えているだろうか?
雑に見えているだろうか?
ちゃんと人を大切に出来る人間に見えているだろうか?

そんなことを考える。

 

それは少し怖い。

だって、他人の目の中に自分を見るということは、自分だけでは隠せていたものまで見えてしまうから。

格好つけたい自分。
好かれたい自分。
嫌われるのが怖い自分。
弱音を吐きたい自分。


でも、弱く見られたくない自分。

好きな人の存在は、鏡みたいなものなのかもしれない。

 

ただし、普通の鏡ではない。

顔を映す鏡ではなく、
心の姿勢を映す鏡。

だから、好きな人がいると、自分に関心が戻ってくる。

それはきっと、相手を見ているようで、自分も見ているからだ。

 

  弱音を吐ける場所が欲しい

恋人という言葉だけで考えると、少し狭くなる。

本当に求めているのは、恋人という役割だけではないのかもしれない。

弱音を吐ける場所。
自分を整え直せる場所。
自分の輪郭を確認できる相手。
自分が必要として、自分もまた必要とされる関係。

そういう存在を、人は求めているのだと思う。

 

支えが欲しい時もある。
寂しさを紛らわせたい時もある。
不安を抱えている時もある。

それを全部、依存だと切り捨てるのは簡単だ。

 

でも、人は一人で完全に立てるほど、単純には出来ていない。

誰かに聞いてほしい。
誰かに見てほしい。
誰かに分かってほしい。
誰かの前でだけは、少し力を抜きたい。

そんな気持ちは、きっと人間の弱さであり、同時に人間らしさでもある。

 

もちろん、家族の必要性をわざわざ語る必要はないのかもしれない。

家族は大切だ。
親族は大切だ。
支えになることもある。

 

でも同時に、負担になることもある。
不満が生まれることもある。
ネガティブな感情が生まれる場にもなる。

大切だから、何もかも綺麗になるわけじゃない。

 

むしろ、大切だからこそ、面倒も増える。
距離が近いからこそ、傷もつく。
必要だからこそ、負担にもなる。

 

それでも人は、自分以外の誰かを求めてしまう。

面倒くさい。
傷つく。
誤解される。
不満も生まれる。

それでも、誰かを求めてしまう。

 

本当に、ままならん。

でも、そのままならなさの中に、好きという感情の入口があるのだと思う。

  素直は、一人では必要ない

私は、素直という言葉についてよく考える。

素直でいること。
本音を話すこと。
自分らしくいること。

どれも綺麗な言葉だと思う。

 

でも、よく考えると、素直なんてものは一人では必要ない。

もし無人島で一人きりで生きていたなら。
もし終末世界で、誰とも関わらず一人だけで生きていたなら。

そこに素直なんて必要ない。

誰に対して素直なのか。
誰に対して本音を言うのか。
誰に隠すのか。
誰に見せるのか。

相手がいないなら、その問い自体が生まれない。

生きるだけなら、素直なんていらない。

生きられるなら生きる。
生きられないなら幕を閉じる。

ただそれだけの世界なら、素直も、本音も、自分らしさも、そこまで必要にはならないのかもしれない。

 

でも、人と関わると話が変わる。

素直でいてほしい。
本音を話してほしい。
ちゃんと向き合ってほしい。
嘘をつかないでほしい。
分かってほしい。
分かりたい。

そう求められるから、初めて素直という表現が現れる。

 

つまり、素直さは、自分の中に最初から完成品として眠っているものではないのだと思う。

誰かとの関係の中で、初めて立ち上がる態度。

誰の前なら弱音を吐けるのか。
誰の前なら格好つけなくて済むのか。
誰の前なら、少し良くありたいと思えるのか。
誰の前なら、情けない自分を見せてもいいと思えるのか。

 

その相手によって、自分の形は変わる。

だから、自分らしさも、本当の自分も、完全に一人では見つけきれないのかもしれない。

  自分らしさは、関係の中で見えてくる

「自分らしく生きよう」
「本当の自分を大切にしよう」

そんな言葉はよく聞く。

 

もちろん、それは大切だと思う。

でも、私は少し疑っている・・・

自分らしさって、本当に一人で見つかるものなんだろうか。

本当の自分って、どこか心の奥に完成品として置いてあるものなんだろうか。

 

私は、そうではない気がしている。

誰かと話した時に出てくる自分。
誰かに怒った時に出てくる自分。
誰かに優しくしたいと思った時に出てくる自分。
誰かに嫌われたくないと思った時に出てくる自分。
誰かを好きになった時に、少しだけ良くありたいと思う自分。

 

そういう関係の中に、自分の形が見えてくる。

 

だから、自分探しでさえ、本当は独りよがりには出来ないのかもしれない。

自分のことなのに、他人が必要になる。
自分の本音なのに、誰かとの関係の中でしか現れない。
自分らしさなのに、誰かの前に立った時に初めて分かる。

 

それは、とても生きにくいことだ。

でも、だからこそ人を好きになることには意味がある。

 

好きな人の前で、自分はどんな人間になるのか。
好きな人の目の中に、自分はどんなふうに映るのか。
好きな人と関わることで、自分は何を大切にしたいと思うのか。

その問いが、自分を動かしてくれる。

  どの人の目の中に、自分を見たいのか

結局、大切なのはここなのかもしれない。

どの人の目の中に、自分を見たいのか。

 

誰でもいいわけじゃない。

自分を見つけたいからといって、誰の目の中でもいいわけじゃない。

冷たい人の目の中に自分を探せば、自分まで冷たく見えてしまう。
雑に扱う人の目の中に自分を探せば、自分の価値まで雑に見えてしまう。
承認を餌にする人の目の中に自分を探せば、自分の価値が相手の機嫌に支配されてしまう。

 

だから、人を好きになることは、ただ相手を選ぶことではない。

自分を見るための鏡を選ぶことでもある。

どの人の前なら、少し素直になれるのか。
どの人といる時の自分なら、嫌いじゃないと思えるのか。
どの人に見られる自分なら、少し信じてみたいと思えるのか。

 

その誰かを探すことが、
「好きな人を求める」
ということなのかもしれない。

 

恋人という形になるかどうかは、まだ分からない。

恋になるのか。
愛になるのか。
ただ大切な人になるのか。

 

・・・それもまだ分からない。

 

でも、自分以外の誰かを求めることには、きっと意味がある。

それは寂しさかもしれない。
不安かもしれない。
支えが欲しいだけなのかもしれない。

 

でも、それだけではない。

人を好きになるから、自分を求める。
自分を求めるから、人を好きになる。

その繰り返しの中で、自分の輪郭が少しずつ見えてくる。

 

だから、私は好きな人を求めているのだと思う。

ただ恋人が欲しいだけではなく、
誰かの目の中に、自分を見つけたいから。

 シンプルフレーズ

人を好きになるのは、誰かに選ばれたいからだけじゃない。
その人の目の中に、自分を見つけたいからなのだと思う。

 

自分探しでさえ、独りよがりには出来ない。
だから生きにくい。

でも、だからこそ人を好きになることには、意味がある。