自分が一番見えていない

自分のことは、自分が一番よく分かっている。
そう思いたいけれど、案外そうでもないのかもしれない。
外見ですら見えないのに、心なんてもっと見えないのだから。

 

  自分の姿は、自分では直接見えない

自画像を描こうとした時、人はきっと鏡を見る。

鏡に映った自分の顔を見て、目の形や鼻の位置、口元の雰囲気を確かめながら描いていく。

 

でも、その鏡に映った自分は、本当に他人が見ている自分と同じなんだろうか?

 

分かりやすいのは、声だと思う。

自分の声って、自分では聞き慣れているつもりでも、録音して聞いてみると「え、誰の声?」って思うことがある。

 

自分が聞いている声と、他人が聞いている声は違う。

自分の中では馴染みのある声なのに、外に出して確認してみると、思っていたものとズレている。

 

たぶん姿も同じなんだろう。

自分では自分の正面くらいしか見えない。
後ろ姿も、横顔も、上から見た姿も、歩いている時の雰囲気も、自分では直接見ることが出来ない。

だから鏡を使う。
写真を撮る。
他人の目線を借りる。

自分という存在は、一番近くにあるのに、自分だけでは全体を見られない。

 

これ、なかなか悲しい話だと思う。

  他人の視点を借りて、やっと自分が見えてくる

仮に、鏡をいくつも使って後ろ姿を見たとする。

でも、その時には正面が見えない。
横を見ようとすれば、別の角度が見えなくなる。


どれだけ工夫しても、自分の姿を一度に全部見ることは出来ない。

 

結局、自分の姿を知るには、他人の視点を借りるしかない。

「こう見えているよ」
「こういう雰囲気があるよ」
「こういう表情をしていたよ」

そう言われて初めて、自分では知らなかった自分を知ることがある。

 

もちろん、他人の評価を全部信じる必要はない。

だって、他人の目だって完璧じゃない。
その人の好みや価値観や機嫌も混ざる。


人間なんて、そんなに公平なカメラじゃない。都合よく見て、都合よく解釈する。私も含めて、だいたいそんなものだ。

でも、それでも他人の視点は必要なんだと思う。

自分だけでは見えない角度が、必ずあるから。

  では、内面はどうやって見るのか?

外見ですら、自分では直接見えない。

 

なら、内面はどうなんだろう?

心。
精神。
思考。
思想。
価値観。
信仰。
好き嫌い。
怒り。
悲しみ。
嫉妬。
劣等感。
優しさ。
見栄。
こだわり。
美学。

こういうものは、鏡に映らない。

 

他人からも見えない。
そして、実は自分でもはっきりとは見えていない。

 

「私はこういう人間です」と言えたとしても、それが本当に自分の全部か?どうかは分からない。

優しいと思っていたのに、意外と冷たい部分がある。
大丈夫だと思っていたのに、ずっと傷ついていた。
好きだと思っていたのに、実は承認されたいだけだった。
嫌いだと思っていたのに、本当は羨ましかっただけだった。

 

自分の心は、自分の中にあるのに、形がない。

形がないから、見えない。

だから、見える形にする必要がある。

  見えない自分を見るには、外に出すしかない

見えないモノを見ようとするなら、アウトプットするしかないんだろうと思う。

言葉にする。
日記に書く。
レビューを書く。
愚痴として吐き出す。
不満として並べる。
作品にする。
誰かに話す。
何かを見て、感じたことを書く。

 

そうやって外に出した時、初めて自分の中にあったものが形になる。

「あ、私はここに引っかかっていたんだ」
「私はこういう言葉に反応するんだ」
「私はこういう人に憧れているんだ」
「私はこういう扱いをされると傷つくんだ」
「私は本当は、これが欲しかったんだ」

そうやって、自分の輪郭が少しずつ見えてくる。

頭の中で考えているだけだと、感情も思考もぐちゃぐちゃのままだ。

 

でも、書いてみると分かる。

同じ言葉を何度も使っている。
同じ不満を繰り返している。
同じ人に反応している。
同じ場面で怒っている。
同じところで落ち込んでいる。

 

そこに、自分の癖がある。

自分の価値観がある。

自分の大切にしているものがある。

  レビューや日記を書いてみるのをお勧めしたい。

まずレビューから始めるのが良いと思っている。

いきなり「自分とは何か?」なんて考えると、ちょっと重い。

そんなの哲学者でも難しい。


普通に生きている人間が、仕事終わりに疲れた頭で考えるには、なかなか面倒くさい。いや、だいぶ面倒くさい。

 

でも、レビューなら始めやすい。

映画を見た感想。
本を読んだ感想。
ご飯を食べた感想。
旅行に行った感想。
神社に行った感想。
誰かの投稿を読んだ感想。

「面白かった」
「つまらなかった」
「好きだった」
「苦手だった」
「なんか引っかかった」
「なぜか泣きそうになった」

それでいい。

大事なのは、上手く書くことじゃない。

 

自分が何に反応したのかを知ること。

感想って、対象について書いているようで、実は自分について書いている。

 

何を美しいと思うのか?
何を嫌だと思うのか?
何を許せないと思うのか?
何に救われた気がするのか?

そこには、自分の価値観が出る。

レビューは、作品を見るためのものでもあるけれど、自分を見るためのものでもあるんだと思う。

 

日記は、自分の感情の流れを見る鏡になる

レビューに慣れてきたら、日記も良い。

日記と言っても、立派な文章じゃなくていい。

今日は疲れた。
今日は腹が立った。
今日は少し嬉しかった。
今日は何もしたくなかった。
今日は誰かの一言が引っかかった。

それくらいでいい。

 

むしろ、最初から綺麗に書こうとすると続かない。

完璧な日記なんていらない。
誰に提出するわけでもない。
採点されるわけでもない。

ただ、自分の感情の流れを残しておく。

 

それだけでいい。

人は意外と、自分の感情を忘れる。

その時はあんなに苦しかったのに、数日経つと薄れてしまう。
その時は本当に嬉しかったのに、日常に戻ると忘れてしまう。

 

でも、書いておくと残る。

そして後から読み返すと分かる。

「私はこういう時に無理をしているんだ」
「私はこういう言葉に弱いんだ」
「私はこういう出来事をずっと気にしているんだ」
「私は案外、同じことで何度も悩んでいるんだ」

これは責めるためじゃない。

 

自分を知るためだ。

自分の感情の流れを知ることは、自分の扱い方を知ることに繋がる。

 

  愚痴や不満も、自分を知る入口になる

愚痴や不満も、悪いものばかりじゃないと思う。

もちろん、ずっと愚痴だけを吐き続けて、そこに住み着いてしまうのは危ない。

 

それはもう、古井戸に叫びに行ったつもりが、古井戸の住人になるようなものだ。

そこまで行くと、さすがに帰ってきなさい案件である(笑)

 

でも、愚痴や不満には、自分の本音が出やすい。

何に納得していないのか。
何を我慢しているのか。
何を軽く扱われたと思っているのか。
何を本当は大切にしてほしかったのか。

怒りの奥には、だいたい大切にしていたものがある。

悲しみの奥にも、期待していたものがある。

愚痴や不満は、ただの汚い感情じゃない。

ちゃんと見れば、自分が何を大事にしているのかを教えてくれる。

  自分探しは、遠くに行かなくても出来る

自分探しというと、どこか遠くに行くような感じがする。

旅に出る。
環境を変える。
新しいことを始める。
誰かに会いに行く。

もちろん、それも良い。

 

でも、自分を見つける入口は、もっと近くにもある。

 

今日感じたことを書く。
好きだったものの理由を書く。
嫌だったことを言葉にする。
誰かの言葉に引っかかった理由を考える。
何度も繰り返してしまう不満を眺める。

それだけでも、自分は少しずつ見えてくる。

自分とは、最初からはっきり存在しているものじゃないのかもしれない。

 

書いて、話して、作って、吐き出して、振り返って。
その中で、少しずつ見つかっていくものなんだと思う。

  アウトプットは、見えない自分を映す鏡

自分の姿を見るには、鏡が必要だ。

でも、自分の心を見るには、言葉が必要なんだと思う。

 

外に出してみないと、自分の中に何があるのか分からない。

だから、上手く書けなくてもいい。
綺麗にまとめられなくてもいい。
誰かに褒められなくてもいい。

 

まずは出す。

書く。
話す。
残す。
作る。
吐き出す。

その時に、初めて自分の輪郭が見えてくる。

自分のことなのに、自分が一番見えていない。

だからこそ、言葉にする。
だからこそ、表現する。
だからこそ、アウトプットする。

アウトプットする時が、一番自分を見付けられる。