生きにくいって感じる。

どうしようもなく、生きづらさを感じてしまう。

理由も分からず、「みんな」と同じに出来ない。

周囲の人の普通が分からない。自分が変なんだっていう自覚がある。

それでも、繋がりを捨てきれない私は弱いんだろう・・・って思うのが、弱さなんだろうね。

「自分の苦しさの構造」

 

「気にしすぎだよ」

「優しすぎる」

そう言われることがある。
でも、その“気にしすぎ”をやめられないから苦しいんだと思う。

  人との距離感が分からない

私は、人との距離感がよく分からない。

誰かと話したい。
笑いたい。
時間を共有したい。
触れ合いや空気感を大切にしたい。

 

でも、その一方で会話が終わった後に考えてしまう。

「あれ余計だったかな?」
「不快にさせた?」
「距離近かった?」
「関わり辛いって思われたかな?」

って。

 

楽しかったはずなのに、あとから反省会が始まる。

しかも、一回や二回じゃない。
何度経験しても、同じ過ちを繰り返してしまう。

本当に自分で悲しくなる・・・

   「弱い」で片付けられる苦しさ

世の中って、こういう苦しさを簡単に片付ける。

「気にしすぎ」
「自信を持て」
「もっと楽に考えなよ」

確かに、その通りなのかもしれない。

 

でも、それが出来ないから苦しい。

私はずっと、「自分が弱いから」だと思っていた。

コミュニケーション能力が低い。
空気を読み過ぎる。
自意識過剰。

そういう問題なんだろうって・・・

  哲学者フーコーの言葉が私に刺さった

でも、フーコーの言葉に触れた時、少し感覚が変わった。

「自分の苦しさは、個人の弱さだけじゃない」

そう思えたからだ。

 

人は、常に“他人の目”を意識して生きている。

学校。
会社。
SNS。
レビュー。
空気感。

「どう見られるか?」
「変じゃないか?」
「嫌われないか?」

そうやって、自分で自分を監視している。

誰かに命令されているわけじゃない。

でも、自分から勝手に整えようとしてしまう。

ちゃんとした人に見られたい。
嫌われたくない。
空気を壊したくない。

だから、常に神経を使う。

 

それって、本当に“私だけの弱さ”なんだろうか?

そう考えた時、少しだけ救われた。

   それでも、人との繋がりは欲しい

ただ、難しい。

私は人が嫌いなわけじゃない。

 

むしろ逆だ。

誰かと話したい。
共有したい。
笑いたい。

でも、関わると疲れる。

薄い関係ほど苦手だ。

SNSみたいに、繋がっているのに孤独な感じ。
誰でも話せるのに、安心して話せない感じ。

現代って、「繋がり」は増えたのに、「安心できる関係」が減った気がする。

 

だから、人と繋がりたいのに、怖くなる。

近づきたいのに、ブレーキを踏む。

そんな矛盾を抱えたまま、人は生きているんだろう。

  ■ お金が欲しいのか?安心が欲しいのか?

面白いのは、神社で祈る時だ。

私は結構リアルに、「お金ください」って思う(笑)

 

本当に人間らしくて滑稽だと思う。

でも少し考えるてしまう・・・

本当に欲しいのは、お金なんだろうか?

もちろん、お金は欲しい。
無いよりあった方がいい。

でも、お金って結局、

「余裕」

を買うものなんじゃないかと思うんだ。

 

人間関係で傷つかない余裕。
選択できる余裕。
断れる余裕。
安心して人と関われる余裕。

そう考えると、私は“お金”を求めているようで、本当は「安心」を求めているのかもしれない。

 

  ■ 苦しさの構造を知りたい

私は、自分を完全に変えたいわけじゃない・・・

完璧になりたいわけでもない・・・

ただ、

「なんでこんなに苦しいんだろう?」

を理解したい。

 

なぜ人との距離感で悩むのか。
なぜ後悔を繰り返すのか。
なぜ繋がりたいのに怖いのか。

 

その“構造”を知りたい。

だって、構造が分かれば、自分を少し責め過ぎなくて済む気がするから。

 

 シンプルフレーズ

人はよく、「もっと自分らしく生きればいい」と言う。

でも、その“自分”が分からないから苦しい。

他人の目を気にして、
空気を読んで、
嫌われないようにして、
後悔を繰り返してしまう。

それでも、人との繋がりを求めてしまう。

そんな矛盾だらけの生き方を、人間らしいと思ってしまう自分が居る。

 

だから私は今日も、

「自分の苦しさの構造」

を探している。

「人は、繋がりたいから苦しむ。
でも、苦しいほど“本当は大切にしたい”のかもしれない。」