気づいたら、またやり過ぎている。
人のことばかり気にして、自分の心は後回し。
そんな時ほど、本当は「頑張れ」じゃなく、「自分と話してあげて」が必要なんだと思う。
自分に愛を渡せていないだけかもしれない
心に余裕が無い・・・余裕を持てない・作れない
本当に良く分かる。
体が限界のような気がする・・・眠れないし、気が休まらないし、ゆっくりなんて出来ない
休日を充実なんて、寝ることが最高のご褒美
もう・・・十分頑張ったって自分に言いたいけど、それでも止まれないし休めない。
だって、立ち止まったら置いていかれてしまうから・・・
休めないよ。だって、仕事なんだもん。
「やり過ぎ」って、何がいけないんだろう
人はよく、
「やり過ぎは良くない」
「無理し過ぎだよ」
って言う。
でも私は、やり過ぎること自体を、そんなに悪いことだとは思っていない。
・・・だって、人は誰でも過ぎてしまうから。
夢中になったり、焦ったり、誰かのために頑張ったり、認められたくて無理をしたり。
生きていれば、どうしたって“過ぎる”瞬間はある。
問題なのは、過ぎたことじゃない。
過ぎたあとに、自分を置き去りにしたまま進み続けることなんだと思う。
やり過ぎた時、身体や心はちゃんと教えてくれる。
疲れる。苦しくなる。イライラする。焦る。不安になる。眠れなくなる。
つまり、心身の不調は、
「もう過ぎているよ」
っていう、自分からのサインなんだよね。
だから、やり過ぎは“失敗”じゃない。
自分の心と身体が出してくれた、大切なお知らせなんだと思う。
過ぎてしまう時、人は自分と話せていない
どうして人は、やり過ぎてしまうんだろう・・・?
その理由はたぶん、
自分に愛を渡せていない時ほど、自分の声が聞こえなくなるからなんだと思う。
自分の「楽しい」も、
自分の「好き」も、
自分の「ちょっと疲れた」も、
自分の「本当は嫌だ」も、
全部あと回しにしてしまう。
そうすると、人のことばかりやってしまう・・・
期待に応えようとしてしまう・・・
ちゃんとしなきゃ、迷惑かけちゃダメ、頑張らなきゃ、って走り続けてしまう。
でも、自分の心を置いてけぼりにしたまま頑張ると、どこかで必ず無理が出る。
焦るのもそう。
心配し過ぎるのもそう。
何かがうまくいかない時に必要以上に自分を責めるのもそう。
そういう時って、たいてい
自分の時間を作れていない時なんだよね。
自分のために立ち止まる時間。
「私は今、何を感じてる?」って聞く時間。
「本当は何がしんどいの?」って確かめる時間。
それがないと、人は簡単に“過ぎる”に入ってしまう。
過ぎてしまった時に大切なのは、自分を責めないこと
やり過ぎた。
無理し過ぎた。
また同じことを繰り返した。
そんな時、人はすぐに自分を責めたくなる。
でも、本当に必要なのは反省より先に、
受け入れることなんだと思う。
「ああ、今の私は過ぎていたんだな」
「ちょっと無理してたんだな」
「本当はしんどかったんだな」
まずは、それでいい。
ここで大切なのは、厳しく裁くことじゃない。
自分に人と話すみたいに声をかけてあげること。
「何がつらかった?」
「何が心配だった?」
「どこで無理した?」
「本当はどうしたかった?」
こうやって、自分に問いかけていくと、少しずつ心がほどけていく。
やり過ぎた後に必要なのは、
気合いでも、根性でも、自己否定でもない。
自分との会話なんだと思う。
心が折れそうな時は、「好き」に戻ればいい
過ぎると、心もおかしくなる。
これは大げさじゃなく、本当にそうだと思う。
余裕がなくなって、何でも悪く見えて、ちょっとしたことで苦しくなる。
自分はダメだって思ったり、もうどうでもいいって投げたくなったりする。
そんな時に必要なのは、立派な正論じゃない。
「大丈夫!」って、自分に言ってあげることだと思う。
そして、
自分が好きだったことを思い出すこと。
好きな音楽。
好きな食べ物。
好きな景色。
好きだった場所。
昔、夢中になれたこと。
少し安心できた時間。
心が変になっている時って、自分の“好き”から遠ざかっていることが多い。
だから、その“好き”に戻ることが、元の自分に戻る道になる。
好きなものって、贅沢じゃない。
甘えでもない。
逃げでもない。
自分を元に戻すための、大事な手がかりなんだよね。
心配し過ぎる時は、心が折れかけているサインかもしれない
【心配】も、過ぎると苦しくなる。
まだ起きていないことまで不安になる。
一つのことが気になり始めると、次から次へと悪い想像が膨らんでいく。
そして、何もしていないのに、もう疲れてしまう。
でも、心配し過ぎる時って、ただ弱いわけじゃない。
ただ考え過ぎているわけでもない。
たぶんそれは、
心が折れかけているサインなんだと思う。
だからこそ、自分に聞いてあげたらいい。
「何が心配だった?」
「本当は何が怖かった?」
「一番困るのは何?」って。
不安って、ぼんやりしている時が一番強い。
でも、一つずつ言葉にしていくと、少しずつ輪郭が見えてくる。
全部を一気に解決しなくていい。
一つずつでいい。
一つずつクリアしていけば、心は少しずつ落ち着いていく。
大事なのは、
心配を無くすことじゃない。
心配している自分を放置しないことなんだと思う。
自分にOKが出せて、やっと人にも優しくなれる
人のことを考えられる人って、優しい。
でも、本当に優しい人ほど、自分を後回しにしてしまうことがある。
みんなのことを気にして、
空気を読んで、
迷惑をかけないようにして、
自分だけ我慢すればいいって思ってしまう。
でも、それを続けると苦しくなる。
そして苦しくなった心で渡す愛は、だんだん歪んでしまう。
だから大切なのは、
まず自分にOKを出すことなんだと思う。
自分の顔も○。
人の顔も○。
どっちかだけじゃなくて、どっちも○。
自分がダメなまま、人だけ大切にし続けるのは苦しい。
人を無視して、自分だけ満たそうとするのも、どこかで無理が出る。
だから、平等なんだよね。
自分のこともやる。
みんなのことも気にする。
自分にもOKを出す。
人にもOKを出す。
この繰り返しができると、少しずつ優しさが無理のない形になっていく。
良い愛は、自分から始まって、人にも渡っていく
自分に愛を渡し過ぎてもいいのか?
わがままにならないか。
甘やかしにならないか。
そう思う人もいるかもしれない。
でも私は、
良い愛なら、渡し過ぎても大丈夫だと思っている。
自分を大事にすること。
自分の心の声を聞くこと。
自分の好きや楽しいを見失わないこと。
無理をした時に、自分に「大丈夫」と言ってあげること。
そういう愛は、腐らない。
閉じない。
ちゃんと人にも渡っていく。
逆に、自分をすり減らしながら渡す愛は、どこかで苦しさに変わる。
身体を壊したり、心を壊したり、相手に見返りを求めたりしてしまう。
だからこそ、まずは自分の心とちゃんと話すことが大切なんだと思う。
神様の笑顔を想像するでもいい。
良心に聞くでもいい。
大切な誰かが見た時にどう思うかを考えるでもいい。
でも、その前に必要なのはきっと、
自分が自分にOKを出せることなんだよね。
まずは、自分に話しかけるところから
やり過ぎない人なんて、たぶんいない。
誰だって、過ぎる。
焦る。
心配する。
無理をする。
でも、そこで終わらなければいい。
過ぎてしまった時に、
「またダメだった」じゃなく、
「今の私は、何がつらかった?」って聞いてあげる。
焦った時に、
「もっと頑張らなきゃ」じゃなく、
「自分の時間、ちゃんと作れてたかな?」って立ち止まる。
心が折れそうな時に、
「こんなんじゃダメだ」じゃなく、
「大丈夫。好きだったことに戻ろう」って言ってあげる。
それだけで、自分との関係は少しずつ変わっていく。
自分に愛を渡せるようになると、
やり過ぎた自分さえ、ちゃんと受け入れられるようになる。
そして、その愛は無理なく人にも渡っていく。
やり過ぎないために必要なのは、完璧になることじゃない。
まずは今日、少しだけでもいい。
人に話すみたいに、自分に優しく話しかけてあげてほしい。
きっとそこから、心はちゃんと戻ってこられるから。








