「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えない人を見ると、つい礼儀の問題だと思ってしまう。
でも、本当に足りないのは言葉そのものじゃなく、その言葉の重さを受け止める感覚なのかもしれない。
今回、職場での出来事を通して、私は少しだけ「責任」と「コミュニケーション」の繋がりを見た気がした。
社会の責任はとれない時に現れる。
『責任』っていう言葉の意味を渡しも正確に表現できるわけじゃない。
なんとなく・・・感覚?的な、社会通念的なそんな雰囲気で感じているだけだ。
コミュニケーション?会話?私だって四苦八苦している。
上手く出来た例がない。ただただ、失敗と自責の念との戦いの日々だ・・・
だから、責任やコミュニケーションについて、誰かに説けるほど知っているわけじゃない。
だからこそ、今回感じたことは、私にとって大きな価値になるだろう。
「言えないこと」は、ただの苦手では終わらない
職場に、どうしても「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えない子がいる。
きっと、会話が苦手なんだと思う。
コミュニケーションが得意じゃないんだと思う。
それは別に、珍しいことじゃない。
誰にだって得手不得手はある。
社会に出れば、対人関係の不器用さなんて、わりと普通にぶつかる壁だ。
だから、言えないからダメだ、と単純に切り捨てる気にはなれなかった。
でも同時に、言わなくて良いのかと言われたら、それもまた違う気がしていた。
ここが難しい・・・
苦手だから仕方ない、で済ませてしまうには、社会って少しだけ他人と関わりすぎる場所だからだ。
「ありがとう」も「ごめんなさい」も、ただの飾りじゃない。
ただ口に出して終わる儀式でもない。
あれはきっと、相手との間に何が起きたのかを認識した時に初めて出てくる言葉なんだと思う。
飲み会で起きた、自由と配慮の衝突
先日、職場で飲み会があった。
上司もいる、慰安も兼ねた親交会みたいなものだ。
そこで、まぁまぁ困ったことになった。
コースメニューなのに勝手に追加注文をしたり、他の人の飲み物を持って行ってしまったり、帰り際に大量の飲み物を注文して場をざわつかせたり・・・正直、かなり困った・・・・・・・
自由に動く彼と、周囲への配慮を気にする私。
(いつの間にか、彼のこもり役にされてしまったのは私の行為の結果なんですがね。)
なかなかどうして、そこでぶつかった。
その時、私はかなり強く言った。
まぁ、簡単に言えば怒った。
でも、その場では全く伝わっていない感じだった。
こっちは困っている。
でも相手には、その「困っている」が届いていない。
このズレが、すごくしんどい。
しかも問題は、その場のノリとか空気の問題だけじゃなかった。
飲み放題が終わって、解散しようとしているところに、勝手に追加で大量注文。
しかも15杯のレモンサワー。
いや、アホなのかと。
モバイルオーダーで勝手に注文するのは構わないけど、状況を見てやってくれ・・・
失礼だけど、その時は本気でそう思った。
もちろん、金額の問題だけじゃない。
会計するのは幹事や上司だし、店とのやりとりもあるし、その場を収める空気も必要になる。
自由にやった本人だけでは終わらない。
周囲が、その自由の後始末をさせられる。
そこに・・・私が怒ったのならカッコいいのかな?
正直、勝手が過ぎる。その前に散々話をしたのに、いろいろ言ったのに・・・
何一つ聞いていなかった事実に腹が立った・・・・
冷たい空気が教えることもある
週が明けて、彼は普通に出勤してきた。
(さすがの度胸ですよ。私がさんざん言ったのに、どこ吹く風・・・)
でも、待っていたのは周囲の冷たい対応だった。
まぁ、仕方ない。
みんなそれぞれ思うところはある。
散々間に入った私に、慰労の言葉をくれる人までいた。なんとも、流石シンプルフレーズだと笑ったけれど(笑)
ただ、彼にとって本当に響いたのは、私が怒ったことよりも、その後の職場の空気だったんだろうと思う。
冷たい視線。
いつもより少ない言葉。
距離を置かれている感じ。
そこでやっと、何かが引っかかったんだろう・・・
彼は私に、「なんでこうなったのか」と聞いてきた。
私は説明した。
なんで私が怒ったのかを。
何が問題だったのかを。
追加料金の話だけじゃない。誰が困るのか。誰に迷惑がかかるのか。何を背負わせたのか。そこを話した。
すると彼は、「じゃあ今からお金払います」と言った。
いや、そこじゃない。
そういうことじゃない。
もちろん、お金の話がゼロではない。
でも本質は、後から清算できるかどうかじゃない。
先輩も上司もいて、幹事が会計して、その場を収めて、空気を整えて、誰かが間に入って消耗している。
問題は、もうとっくに「金額」だけではなくなっている。
そこまで話して、彼はようやく少し理解したようだった。
そして私に、「ごめんなさい」と言った。
でも、私は言ったよ・・・。
謝る相手は私じゃない。
上司と幹事だ。
そこなんだよ、と・・・。
この時に見えたのは、謝れないことそのものより、誰に何をしたのかが見えていないということだった。
責任を知らないと、返答ができない
今回、私が一番学んだのはここだった。
相手に対して「返答」ができること。
反応できること。
対応できること。
それって、責任というものを知っていて初めてできるんじゃないか、ということだ。
返事をする。
謝る。
感謝する。
説明する。
受け止める。
こういうことは全部、ただ言葉を発するだけじゃない。
相手から向けられたものを受け取り、自分の立場で返す行為だ。
つまりそこには、必ず「自分の返し方が相手との関係に影響する」という感覚がある。
責任って、きっとそういうことなんだと思う。
辞書に載っている意味をそのままなぞれば済む話ではない。
社会通念とか一般論で片づけるには、あまりにも生々しくて、人間関係の中で形を変えるものだと思うからだ。
だから、責任とは何か、と綺麗に定義することは私にはできない。
でも、少なくとも今回見えたのは、責任を理解していないとコミュニケーションが噛み合わなくなる、ということだった。
「ありがとう」が言えないのも、
「ごめんなさい」がズレるのも、
「誰に返すべきか」が分からないのも、
全部どこかで、責任の向き先が見えていないから起きるのかもしれない。
責任は、取れない時に初めて見える
責任って、不思議だと思うは、私だけなんだろうか?
普段は見えない。
ちゃんと回っている時は、誰もわざわざ意識しない。
でも、何かがズレた時、自分一人では後始末できなくなった時に、急にはっきり見えてくる。
今回の件で言えば、彼は自分の自由な行動の先に、誰が何を背負うのかを見ていなかった。
だから好きに動けた。
でも、その結果を自分だけで引き受けられないと分かった時に、ようやく責任の輪郭が出てきたんだと思う。
そう考えると、責任とは「取るもの」というより、自分の行為が誰の負担になるのかを知ることに近いのかもしれない。
自由にするのはいい。
でも、その自由が誰かの尻拭いの上に乗っているなら、それはもう一人だけの自由ではなくなる。
社会って、そういう見えない負担の受け渡しで成り立っている。
だからこそ、責任を知ることは、窮屈になることじゃない。
むしろ、相手と繋がるための最低限の土台なんだろう。
自分らしいコミュニケーションは、責任の先にある
今回のことで、私は少し考えが変わった。
コミュニケーションが上手い人って、話がうまい人じゃないのかもしれない。
気の利いたことが言える人でも、ノリがいい人でもないのかもしれない。
本当に大事なのは、自分の言葉や行為が、相手にどう届くのかを引き受けられることなんだと思う。
その引き受ける感覚があって初めて、返答が生まれる。
反応が生まれる。
対応が生まれる。
そして、その土台にあるのが、それぞれの中にある「責任」なんだろう。
責任の形は、人それぞれ違うと思う。
同じ言葉を使っていても、何を重いと感じるのか、どこまでを自分のこととして受け止めるのかは違う。
でも逆に言えば、だからこそ、その人なりの責任を理解した時に、その人らしいコミュニケーションがやっと始まるんじゃないだろうか?
無理に器用になる必要はない。
気の利いた人間にならなくてもいい。
ただ、自分の言葉や行為が、相手との間に何を残すのか。
そこに少しでも意識が向いた時、人はようやく誰かとちゃんと向き合えるのかもしれない。
責任とは何か。
そんな大きなことを、私が語れるわけじゃない。
でも今回ひとつだけ分かったのは、
返答できることは、責任を知っていることなのかもしれない
ということだ。
そしてきっと、責任を知ることは、誰かに縛られるためじゃない。
自分らしい言葉で、相手と繋がるために必要なことなんだと思う。
シンプルフレーズ
言葉は、ただ口にするだけでは届かない。
でも、責任を知った言葉は、少しずつ人との距離を変えていく。
そんな返答ができる自分でいられたら、少し素敵だと思う。



