人間関係が難しいのは、性格の問題だけじゃないと思う。
そもそも日本語そのものが、難しすぎる。
正しさを求められるくせに、その正しさは人によって違うんだから、もう無理ゲーだと思う・・・
正しい日本語って、誰が使えているんだろうね?
敬語一つとっても、ちゃんと使えている人に出会ったことが無い。
私自身、丁寧に話さないとダメな状況や相手くらい分かる。
でも、話しているつもりでも、相手がどう思っているか?なんて分からない。
会話の中には方言も入るし、個性も出る。相手が何を言っているのか分からない場面なんて多すぎる。
職場のミーティングや講義なんてほぼ分からない・・・
KPI?ソリューション?日本語も分からないのに、知っていて当然の雰囲気で話してくる。
その時・・・「???」の顔をしていたら、「ちゃんと話聞いてるか?」ってたしなめられてしまう。
かといって、スマホで調べるわけにもいかず・・・
「ごめんなさい」・・・?
「すみません」・・・?
「申し訳ありません」・・・?
どれが正解なんですか?先に、あなたの正解を教えてくれないと、私はあなたとのコミュニケーションすら出来ません。
「正しい日本語」を使えと言う人ほど、正解を持っていない
「ちゃんとした日本語を使って」
「社会人なんだから言葉を選んで」
「その言い方は失礼だよ」ってやつ・・・
でも、そのたびに思うんだ。
その“ちゃんとした日本語”って、誰基準なんですか?って・・・
丁寧に話せば「距離がある」と言われる。
砕けて話せば「礼儀がない」と言われる。
優しく言えば「回りくどい」と言われるし、
はっきり言えば「きつい」と言われる。
いやもう、どっちなんだよ・・・って話だ。
正しい日本語って、学校で習う文法だけじゃない。
相手との距離感、場の空気、年齢、立場、雰囲気、タイミング。
そういう見えない条件まで全部込みで判断される。
そんなもの、毎回完璧に使いこなせるわけがない・・・
え?出来る?マジで?教えて!って思うわwww
日本語は、言葉そのものより「空気」を読ませてくる
日本語の難しさって、単語の意味だけじゃないんだよね。
同じ「大丈夫です」でも、
本当に大丈夫な時もあれば、
全然大丈夫じゃない時もある。
断ってるのか、遠慮してるのか、気を遣ってるのか、諦めてるのか?
全部、空気で判断しろってなる。
冗談なのか?本気なのか?も分かりにくい・・・
しかも、分からなかった時に確認すると、
「え、そんなことも分からないの?」みたいな顔をされる・・・やめてくれ。
いや、分からんものは分からん。
言葉で伝えるはずのコミュニケーションなのに、
実際には言葉の外側ばかり読まされる。
それで人間関係が難しくならない方がおかしいと思う。
正しさが人それぞれなら、会話は最初から不安定だ
もっと厄介なのは、
人によって「正しい言い方」が違うことだと思う。
ある人には気遣いに見える言葉が、
別の人には他人行儀に見える。
ある人にはフランクで話しやすい言い方が、
別の人には馴れ馴れしく見える。
つまり、日本語って、
「正しい言葉を使えば伝わる」んじゃなくて、
“相手が気持ちよく受け取る形”に調整できるか?が求められている。
でも、そんなの難しいに決まってる。
だって、相手の正しさなんて、相手の中にしかないんだから。
こちらは辞書を見て話してるわけじゃない。
その人の機嫌、価値観、過去の経験、プライドまで踏まえて話せと言われているようなものだ。
それはもう、日本語というより
対人戦の高難度ゲームなんだと思う。
カタカナ語まで増えて、もう意味より雰囲気になってきた
そこに最近は、カタカナ語まで増えてきた。
アジェンダ。
コンセンサス。
エビデンス。
アサイン。
コミット。
リスケ。
便利な言葉なのは分かる。
短く言えるし、仕事では使う場面もある。(全部わかりますか?)
でも、なんでもかんでもカタカナにすれば賢く見えると思っている空気は、正直しんどい。
意味が分からないのに、聞き返しづらい🤣
分かったふりをするだけで疲れる。
しかも使ってる本人が、妙に“知ってます感”を出してくると、さらにしんどい・・・💦
子どもが難しい言葉を覚えて、嬉しそうに使うなら可愛い。
「ああ、そういう時期あるよね」って思える。
でも大人が、意味の輪郭も曖昧なまま、
それっぽい横文字を振り回して得意げにしていたら、
もうこっちは、会話の内容より先に聞いてるフリの体力が削られていく。
私が悪いんじゃなくて、求められている難易度が高すぎる
私はまず、正しい日本語を使う自信がない!!!
だからコミュニケーションも苦手だし、人間関係も難しい。
そう思ってしまう人は・・・私だけじゃないはず!気持ちは、すごくよく分かる。
でも、少しだけ言い換えるなら、
「自分がダメ」なんじゃなくて、
求められているものが多すぎるんだと思う。
言葉の意味を理解して、
空気を読んで、
距離感を調整して、
敬語の強さを選んで、
相手が不快にならないように気を配って、
しかも自然に話せと言われる。
そんなの、疲れない方が不思議だ。
日本語が難しいんじゃない。
難しい日本語運用を、当たり前みたいに要求される社会がしんどいんだと思う。
先に、分かりやすく話してほしい
私は、別に特別なことを求めているわけじゃない・・・
ただ、
分かりやすく話してほしい。
伝わるように話してほしい。
知らない言葉を当然みたいに投げないでほしい。
空気を読めと言う前に、言葉で説明してほしい。
それだけなんだよね。
本当に伝える気がある人は、難しい言葉を使う人じゃない。
難しいことを、相手に伝わる形にしてくれる人だと思う。
だから私は思う。
正しい日本語を完璧に使えるかどうかより、
相手に伝わるように話そうとする誠実さの方が、よっぽど大事なんじゃないかって。
シンプルフレーズ
正しい日本語って、誰が使えているんだろうね?
正しさは人それぞれ。
距離感も人それぞれ。
心地いい言い方も人それぞれ。
そんな不安定なものを、毎回完璧に合わせろなんて、難しくて当然だと思う。
だから、うまく話せない自分を責めすぎなくていい。
人間関係が難しいのは、あなたのせいだけじゃない。
最初から日本語というゲームの難易度が高すぎるだけかもしれない。
先に、日本語で分かりやすく話してほしい。
それって、わがままじゃなくて、
コミュニケーションの最低限の優しさなんだと思う。
(笑)コミュニケーションってカタカナだねwww
コミュニケーションって、互いの理解を深めるプロセスらしいよ!




