嫌われても平気・・・なんて、そんなに簡単に言えたら苦労しない。
人はきっと、好かれたい。認められたい。受け入れられたい。
それは甘えじゃなく、この世界で自分の居場所を失いたくないからなんだと思う。
人はなぜ、そんなに「好かれたい」と思うのか
先に結論を書いてしまおう・・・
他者の言葉や評価のどうこうより、私は自分の美学や矜持が大切だと思っている。
例えば、私の美学は「事物に物語を与え、言語化して表現する」っていうことだ。
花をただ渡すのではなく、アートとして渡す。
物に意味を与え、行為を作品に変える。
それは傍から見れば自己満足かもしれない。
でも、私にとっては自己満足では終わらない。
それが、自分が生きるための花になる。
(この花は私が買った花束だよ~笑)
好かれることは、ただの人気じゃない
人間関係は、良好な方がいい。
それは綺麗事じゃなく、現実の話だ。
好かれている。
好感を持ってもらっている。
それだけで、少し生きやすくなる。
多少の失敗を許してもらえることもある。
少し融通が利くこともある。
困った時に助けてもらえることもある。
営業なら、好感は武器になる。
面接でも、恋愛でも、職場でも、日常でも、「感じがいい」は思っている以上に強い。
つまり、好かれることは、ただ気分がいいだけじゃない。
生きるための居場所になるんだと思う。
人は、他人の中に自分を探してしまう
だから人は、他人の中に自分を見る。
私はどう見られているんだろう?
嫌われていないだろうか?
ちゃんと受け入れられているだろうか?
ここに居てもいいと思われているだろうか?
そうやって、自分の安心や安定を、他人の視線の中に置いてしまう。
アリストテレスは、人間を共同体の中で生きる存在として捉えたと言われている。
人は一人で完結する存在ではなく、他者や社会との関わりの中で生きる存在だということだ。
この考え方から見れば、好かれたいと思うのは当然なのかもしれない。
見栄でも、甘えでもなく、社会の中で生きるための自然な欲求だ。
それは、無人島で1人で生きていたら必要ない欲求だから・・・
誰もいないなら、自己を説明する必要がない。
承認も不要、比較も不要、役割も不要。
生きることと、自己を認識することは一致しないっていうことなんだと、私は感じている。
好かれたいのは、他人のためじゃない
ここが少し厄介だと思う。
人は「他人のため」に好かれたいわけじゃない。
結局は、自分のためなんだと思う。
好かれることで安心できる。
認められることで落ち着ける。
受け入れられることで、自分の存在に意味を感じられる。
つまり、他人に好かれたいのは、
他人を喜ばせたいからというより、
自分くが生きやすなるためなんだ。
そしてその先で、もっと深い問いが出てくる。
他人に好かれたいのか?
それとも、他人に好かれている自分を好きになりたいのか?
たぶん、この二つはかなり近い。
他人の評価を、自分の価値の条件にしてしまう苦しさ
他人に認められている自分なら、好きになれる。
好感を持たれている自分なら、許せる。
そうやって、自分を肯定する条件の中に、他人の評価が入り込んでくる。
でも、他人の評価は自分では決められない。
どれだけ頑張っても嫌う人はいる。
どれだけ配慮しても誤解される時はある。
そこに自分の価値を全部預けたら、苦しい。
ずっと他人の反応に振り回されることになる。
サルトルの有名な言葉に、
「Hell is other people.(地獄とは他人のことだ)」
がある。『出口なし』の一節として広く知られている。
この言葉は、ただ「他人が面倒」という意味じゃないと思う。
他人のまなざしの中で、自分が決めつけられ、縛られ、逃げられなくなる苦しさ。
その息苦しさを言っているように感じる。
『好かれたい。』
でも、好かれることを自分の価値の条件にしすぎると、他人が地獄になる。
じゃあ、自分だけで自分を好きになる方法はあるのか
自分だけで、自分を許して、好きになる方法はあるのか?
たぶん、完全な意味では難しい。
人は最初から他人のいる世界で生きているからだ。
言葉も、価値観も、役割も、何もかも他者を通して受け取っている。
でも、だからといって、他人の評価だけで自分を決めるしかないわけでもない。
必要なのは、
他人に好かれることを、自分の価値の絶対条件にしないこと
なんだと思う。
好かれたら嬉しい。
認められたら助かる。
それは事実だし、大切なことでもある。
でも、それがなければ自分には何もない・・・となった瞬間に、人は苦しくなる。
自分を支えるのは、最後は他人の評価じゃない
じゃあ何が必要なのか?
それは、他人の評価とは別に、
自分が何を良しとするか?
を持つことなんだと思う。
自分の自分の為だけの、美学や矜持
人に優しくすることでもいい。
作品を作ることでもいい。
自分なりに譲れないものを持つことでもいい。
好かれることは、世界の中で居場所を作ってくれる。
でも、自分の美学は、居場所が揺れた時に自分を立たせてくれる。
だから大事なのは、
「私は好かれている」と思い込むことじゃない。
そんなものは距離感を間違えれば、ただの面倒な人にもなる。
そうじゃなくて、
私は私なりに今日を生きた
私は私なりに譲れないものを持っている
そう思えることなんだと思う。
好かれたいのは自然だ。でも、それだけでは足りない
人は他人に好かれたい。
それは弱さじゃない。
この世界で生きる以上、自然なことだと思う。
でも、本当に欲しいのは、
ただ好かれることじゃない。
たぶん、
好かれている自分を通して、自分を許せる感覚
なんだと思う。
だからこそ必要になるのは、
好かれる努力だけじゃなく、好かれなくても全部は失わない自分の美学や矜持なのかもしれない。
好かれることは、生きやすさになる。
でも、自分を支える最後の一本は、他人の評価じゃなく、自分の美学であってほしい。
シンプルフレーズ
好かれることは、居場所をくれる。
でも、自分を立たせるのは、最後は自分の中にある譲れないものなんだと思う。



