誰かを追いかけている時の自分って、嫌いになれない。
少しでも近づきたくて、言葉を選ぶ。
少しでも見てほしくて、見た目を気にする。
少しでも相応しい自分でいたくて、背伸びする。
その姿は、たぶん少し滑稽だ。
必死で、未熟で、勝手に期待して、勝手に傷ついている。
でも、そういう自分を私は簡単には笑えない。
だって、何かを追いかけている時の人間は、ちゃんと生きているからだ。
恋愛でもそうだし、人生でもそうだと思う。
手に入った瞬間より、届いていない時の方が、心は熱い。
叶ったあとより、追いかけている時の方が、自分を磨こうとする。
でも、その熱さにずっと浸っていればいいのかと言われると、たぶん違う。
今日はそんな、
追いかけることの美しさと、そこに潜んでいる危うさについて書いてみたい。
追いかける時間は、自分を磨く。でも、追いかけるだけでは、自分の人生にならない
追いかけている時、人は自分の足りなさを知る
本当は分かっている。
いつまでも誰かを追いかけているだけでは、たぶん足りない。
本当は、自分を見て、自分の未来を見ないといけない。
相手がどう思うか。
振り向いてくれるか。
どう見られているか。
そんなことばかり考えていると、自分の人生なのに、自分が脇役みたいになっていく。
それでも、追いかけることには意味があるとも思う。
なぜなら人は、満たされた完成よりも、まだ届いていないものによって動くからだ。
少し言葉を借りるなら、これは少しプラトン的ですらあると思う。
人は、もう手にしているものより、欠けているものに欲望を向ける。
持っているものより、持っていないものに心を燃やす。
完成ではなく、不足が人を動かす。
だから恋愛が追いかけている時に一番楽しいのも、
人生が片思いみたいな時間の中で一番自分を磨けるのも、
足りない自分が、まだ先を見ているからなんだと思う。
届いていない。
だから、近づこうとする。
足りない。
だから、変わろうとする。
その不足が、人を前に押し出す。
追いかけることは、ただの未練じゃない。
欲望がまだ死んでいないってことなんだと思う。
人は相手だけじゃなく、追いかけている自分にも酔っている
ただ、ここで話は少し厄介になる。
誰かを追いかけている時、
人は相手だけを見ているわけじゃない。
追いかけている自分自身の物語にも酔っている。
ここが苦しいところで、
でも、たぶん一番人間くさいところでもある。
片思いって、相手への感情だけじゃない。
「まだ届かない何かに向かっている自分」を好きでいられる時間でもある。
届かない距離にいるからこそ燃える。
叶っていないからこそ想像できる。
まだ足りないからこそ、自分を変えようと思える。
だから苦しいのにやめられない。
だから報われなくても、完全には捨てられない。
普通ならここで、
「追う恋はやめよう」
「自分を見てくれる人を大切にしよう」
そんな正論を並べれば綺麗なんだろう。
でも、そんなに素直に終われるほど、人間は物分かりが良くない。
ちゃんと分かっている。
追うだけではダメだと分かっている。
自分を見てくれない相手を追い続けても、そこに限界があることも分かっている。
それでもなお、
追いかけている自分の姿に価値を感じてしまう。
少しでも良くなろうとしている自分。
少しでも近づこうとしている自分。
少しでも相応しい存在でいたいと願っている自分。
そういう姿を、一番見ているのは自分自身なんだと思う。
だから、追いかけている時間は苦しいのに、どこか好きなんだ。
でも、それは永遠に続けていい陶酔じゃない
ただし、ここにははっきり危うさがある。
追いかけている時の自分が好き。
この感覚は、とても綺麗に見える。
でも同時に、かなり危ない。
なぜならそれは、相手を見ているようでいて、
実は相手を使って理想の自分に酔っているだけになりやすいからだ。
片思いが美しく見えるのは、現実に触れなくて済むからでもある。
追うことはできる。
夢を見ることもできる。
自分を磨いた気にもなれる。
でも、相手と本当に向き合うこと、
自分を差し出すこと、
ありのままを見せることは避けられる。
ここが痛い。
追いかける恋や人生は、たしかに成長の燃料になる。
でも、現実と繋がらなければ、ただの自己陶酔にもなる。
少しニーチェっぽく言うなら、
人を成長させるのは安定ではなく、距離なんだと思う。
届かない何かとの距離が、今の自分を鍛える。
手が届かないから、足りない自分を知る。
届かないから、少しでも届く自分になろうとする。
でも、その距離を抱えたまま、永遠に「まだ届かない私」で居続けるのは違う。
距離は人を磨く。
けれど距離に酔い始めたら、それはもう成長じゃなく、停滞の言い訳になる。
問題は、追いかけることじゃない。
追いかけることに酔って、自分を見ることをやめることだ。
ここで止まると、どれだけ綺麗な言葉を並べても、結局は前に進まない。
追いかける時間を、自分の未来に返さないといけない
私は、追いかけることを否定したくない。
追いかける時間は、自分を磨く。
届かない何かを前にした時、人はいつもより真剣になる。
少しでも見てほしくて、少しでも近づきたくて、自分を整えようとする。
その時間は、ちゃんと意味がある。
でも同時に、追いかけるだけでは、自分の人生にはならない。
必要なのは、
見てもらえる自分になること。
見せられる自分になること。
そして何より、自分で自分を見られるようになることなんだと思う。
誰かを追いかけているつもりで、
本当は自分から逃げているだけだったら、そこでは止まる。
どれだけ切なくても、どれだけ綺麗でも、止まるものは止まる。
だから最後は、
追いかけることそのものを捨てるんじゃなくて、
誰かを好きになって変われたなら、その“変われた自分”はもう相手のものじゃない。自分の未来のものだ。
恋愛は、追いかけている時が一番楽しい。
人生も、追いかけている時が一番自分を磨けるのかもしれない。
でも最後は、
追いかけている自分に酔うだけじゃなく、
その自分を現実の中に立たせないといけない。
追いかける時間は、自分を磨く。
でも、追いかけるだけでは、自分の人生にならない。
だから私は、追いかけることをやめたいわけじゃない。
ただ、追いかけるだけで終わる自分ではいたくない。
シンプルフレーズ
追いかけること自体が悪いんじゃない。
追いかけることに酔って、自分を見ることをやめると止まる。


