人生の重要な選択・・・なんて言葉を聞くと、
なんだか立派で、重たくて、ちゃんと考えなきゃいけないものみたいに聞こえる。

 

進学、就職、結婚、離婚、転職、独立。


世間はそういう場面を「人生の分かれ道」と呼びたがる。

でも、生きにくさを感じながら生きている人間からすると、
そんな“人生の重要な選択”って、いつでもあるし、同時に、いつもない。

 

だって実際は、
そんな大それた決断をして生きているというより、
状況と環境に流されながら、なんとか今日を終わらせているだけの日の方が多いからだ。

人生の重要な選択なんて、いつでもあるし、いつもない

そして正直、その方が楽だ。

何も考えない。
責任を背負わない。
自分で決めたことにしない。
上手くいかなければ、環境のせい、相手のせい、社会のせいにできる。

 

それの何が悪いんだろう?

 

責任から逃げるのは、そんなに罪深いことだろうか。
この世界で、好き好んで責任なんて重荷を抱えたがる人が、いったいどれだけいるんだろう。

 

今日はそんな、
「選べないこと」もまた人間らしさなんじゃないかという話を書いてみたい。

 

  人生の重要な選択なんて、あるようでない

 

人生には大事な選択がある・・・
たしかに、それはそうなんだと思う。

 

でも同時に、
本当に自分で選んでいる瞬間なんて、そんなに多くない気もしている。

 

気付いたらそこに居て、
気付いたら流れに乗っていて、
気付いたら決まっていて、
気付いたら「これで良かったのかな」と考えている。

 

そんなものじゃないだろうか?

 

自分で選んだつもりでも、
その“自分”自体が、環境や状況や人間関係や空気に作られている。

 

だったら、
人生の重要な選択なんて、
本当は「私が選んだ」の前に、
「そうせざるを得なかった」の積み重ねなのかもしれない。

 

そう考えると少し楽になる。

だって、選べなかった自分を責め続ける必要がなくなるから。

 

  流されて生きる方が、正直ずっと楽だ

 

何も考えずに流される。
これは怠惰でも、甘えでもなくて、ある意味ではとても合理的だと思う。

 

自分で決めるということは、
自分で責任を引き受けるということだ。

 

しかも厄介なのは、
責任を引き受けたからといって、別に救われるわけじゃないことだ。

頑張って決めても失敗する。
勇気を出して選んでも後悔する。
真面目に考えても報われない。

 

だったら、最初から流されていた方が楽だ。
責任を曖昧にできるから。
言い訳ができるから。
他人を批判して笑って、自分を諦めたふりができるから。

 

でも、人間はそこまで綺麗に諦めきれない。

自分を手放そうとしているのに、
誰かより優位に立ちたいと思ってしまう。
どうでもいいふりをしているのに、
見てほしい、分かってほしいと思ってしまう。

諦めたいのに、諦めきれない。
手放したいのに、拾いに行ってしまう。

この矛盾があるから、生きるのは面倒なんだと思う。

  選べないんじゃない、選びたくない時がある

 

何が大切なのか。
何が重要なのか。
何を優先すべきなのか。

そんなこと、本当は考えた方がいい。


きっと、世間的にはそうなんだろう。

 

でも、考えたくない時がある。

なぜか・・・?
考えれば考えるほど、
自分が何を捨てて、何を選ぶのかを突きつけられるからだ。

 

選ぶということは、
選ばなかった方を捨てるということでもある。

 

人は、これが案外できない。

「あっちだったらどうなっていたんだろう」
「別の道なら、もっとマシだったかもしれない」
「本当は違う選択があったんじゃないか」

そうやって、選ばなかった可能性をいつまでも眺めてしまう。

だから選択は重たい。
だから選択は面倒だ。
だから時には、考えない方が楽になる。

 

それは逃げだろうか?

 

私は、逃げでいいと思っている。
逃げることが悪いんじゃない。
逃げることでしか守れない自分だって、ちゃんと居るからだ。

 

  後悔とは、過去を受け入れられない自分の言い訳だ

 

結局、何を選んだって後悔する。

選んでも後悔する。
選ばなくても後悔する。
ちゃんと考えても後悔する。
勢いで決めても後悔する。

なぜなら人は、結果だけを見てしまうからだ。

 

過程を見ろと言われても、
実際は結果で判断される世界に生きている。


そしてその価値観を、私たち自身もどこかで信じてしまっている。

だから、後悔したくないと思う。
間違いたくないと思う。
失敗だったと認めたくないと思う。

でも、それでも後悔は無くならない。

私は最近、後悔って、
単なる失敗の証拠じゃない気がしている。

 

後悔って、
過去と向き合って受け入れるための、受け入れられないという言い訳なんじゃないかと思う。

あの時こうすればよかった。
あっちを選べばよかった。
なんで私はああしたんだろう。

そうやって過去を責め続けるのは、
過去を本当に受け入れたわけじゃないからだ。

 

でも逆に言えば、
後悔しているということは、
まだその過去が自分の中で終わっていないということでもある。

 

つまり後悔は、醜さでも弱さでもなく、
まだ自分が自分を処理しきれていない証拠なのかもしれない。

  どれだけ磨いても、後悔はたぶん消えない

 

人間性を理解したら後悔しなくなるのか。
感情を理解したら選択は上手くなるのか。
自分を磨いて、学んで、考えて、成熟したら、後悔は減るのか。

・・・たぶん、少しは減る。
でも、無くなりはしない・・・・・・・・・・・・

 

なぜなら人は、
後悔しないために成長するのではなく、
後悔に意味を与えるために成長しているような気もするからだ。

賢くなっても後悔する。
優しくなっても後悔する。
覚悟を持っても後悔する。

 

それでも人は、
「これで良かった」と言える理由を探し続ける。

 

結局、私たちは、
正しい選択を求めているようでいて、
本当は自分を納得させるための言い訳を探しているだけなのかもしれない。

 

そしてそれは、そんなに悪いことじゃないと思う。

人は利己的だ。
性悪説も持っているし、性善説も持っている。
善悪なんて、その時の自分に都合よく解釈する。

 

だからこそ・・・
都合の良い言い訳と解釈が必要になる。

それが無いと、人は自分を引き受けきれないからだ。

 

  だったら「若さ」という才能で割り切ってもいい

 

だったら、もういいんじゃないかと思う・・・

何を選んだって後悔する。
選ばなくても後悔する。
そんなに物分かり良くもなれない。
悟ったような顔もできない。
いい子ちゃんにもなれない。

だったらせめて、
自分に対して「若さっていう才能」を使ってもいいんじゃないかと思う。

「若さっていう才能」これは某漫画の言葉だ。

 

ただ、私の言う若さとは、年齢のことじゃない。

 

やり直しができると思えること。
一人で責任を背負わなくていいこと。
後悔や過去に縛られず、勢いで動けること。
無知のまま飛び込めること。

 

そういうもの全部ひっくるめて、
私は若さって呼びたい。

若さって、未熟さじゃない。
若さって、やり直しが効くと思い込める才能だ。

それは、とても大きい。

 

慎重さや賢さや正しさより、
ずっと乱暴で、ずっと危うくて、でも、ずっと前に進める力がある。

 

  特性でも病気でもなく、ただの才能の無駄遣いでいい

 

今の時代は、何でも名前をつけたがる。

特性。
MBTI。
障害。
病気。
性格。
気質。

もちろん、それが必要な人もいる。
その言葉に救われる人もいる。
だから否定したいわけじゃない。

 

でも、何でもかんでも

「これはこういう特性です」
「こういう傾向ですね」
「こういう診断に当てはまりますね」
と説明されると、少し息苦しくなる時がある。

 

そんな綺麗な話じゃないだろう、と思う。

 

だってこっちは、
そんなに立派に整理されて生きていない。

ただ迷って、
ただ逃げて、
ただ怠けて、
ただ見てほしくて、
ただ分かってほしくて、
ただ後悔しているだけかもしれない。

 

だったらもう・・・特性でも病気でも障害でもなく、

ただの才能の無駄遣い

くらいの言い方の方が、案外ちょうどいいのかもしれない。

 

才能なんだから仕方ない。
上手く使えないのも、また才能。
雑に使って後悔するのも、たぶん才能。

そう思えたら、少しだけ笑える。
少しだけ、自分を責めずに済む。

  後悔するのが人間なら、言い訳もまた生きる力なんだと思う

 

人生の重要な選択なんて、
いつでもあるし、いつもない。

私たちは、自分で選んで生きているようで、
実際は状況と環境に流されながら、
その場その場でなんとかやっているだけなのかもしれない。

 

それでも、選ばなかった可能性を捨てきれず、
見てほしい、分かってほしい、負けたくないと思ってしまう。


だから苦しい。
だから後悔する。

でも、その後悔すら、
自分を受け入れられない自分の言い訳だとしたら。

言い訳って、そんなに悪いものだろうか・・・?

 

私はむしろ、
言い訳があるから人は生き延びられるんじゃないかと思う。

 

綺麗に納得できないから、言い訳する。
受け入れきれないから、後悔する。
割り切れないから、可能性を捨てきれない。

 

それが人間なんだと思う。

だったらせめて、
自分に向ける言い訳くらいは、少し優しくていい。

 

若さっていう才能。
無知の特権。
才能の無駄遣い。

そうやって少し笑いながら、
自分を責め切らずに生きる方が、
この世界では案外、大事なのかもしれない。

何を選んだって後悔する。
それでも選ぶなら、自分を責めすぎないための言葉を持っていたい。

そして私は今、少しだけ思う。

才能なんだから、仕方ない。
そう割り切れることもまた、
生きるための才能なのかもしれない。