「ゴッホ展に行ってきた」

 

そう言うと、なんだか美術に詳しい人みたいに聞こえるかもしれない。
でも実際の私は、専門的なことをたくさん知っているわけじゃない。

ただ、念願だったゴッホ展にやっと行けて、そこで思った。
有名な絵を見たというより、ひとりの人間が何を取り入れ、何を悩み、どう変わっていったのかに触れられた時間だったと。

 

『ゴッホ展 家族が繋いだ夢』

 

小学校の頃、美術の教科書で見ていたゴッホの絵は、正直に言えば
「色が濃くて目立つな」
くらいの印象だった。

大人になってからも、今度は作品より先に「高額な絵」「有名な画家」という情報が入ってきて、人物や絵画そのものを、ちゃんと見ようとしていなかった気がする。

でも今回、彼の年齢を越えた今だからこそ、初めて見えたものがあった。
技法の工夫。
試行錯誤の跡。
感情のうねり。
そして、作品の奥にある“人間らしさ”。

そんな時間を過ごせたことが、とても嬉しかった。

 

 

  私が最初に惹かれたのは、あの独特なタッチだった

 

今回、特に印象に残ったのは、ゴッホ独特のタッチだった。

小さな点や線を無数に重ねていくような表現。
あれを見て私は、勝手な感想かもしれないけれど、版画や印刷物の影響を連想した。

 

※ハッチングというらしい。「細い線の集合(ハッチング)」

影響を受けたかどうかは本人に聞いてください。

 

彼が絵を描き始める前から、あるいは初期の頃から集めていたという版画や印刷物。
そうしたものを見てきた感覚が、あの細かな線や点の重なりに繋がっているんじゃないか。

 

そんなふうに思えた。

もちろん、これは美術史の断定ではなく、私の感想だ。


でも、ただ「激しい筆致」として見るより、何かを取り入れて、自分の表現へ変えていった跡として見ると、ぐっと魅力が増した。

ただの才能ではなく、試行錯誤の痕跡に見えたからだ。

 

  浮世絵の影響は、色だけじゃなかった気がする

ゴッホが浮世絵を好んでいたのは有名な話だし、色使いへの影響もよく語られる。

でも今回、私が面白いと思ったのは、色だけじゃなかった。
対象を線で囲って、その中に色を入れていくような表現。
あの“縁取りして塗る”感じに、私はどこか浮世絵らしさを感じた。

 

※「クロワゾニスム」というらしい。影響を受けたかどうかは本人に聞いてください。

 

今の感覚で言えば、ちょっと漫画っぽいとすら思った。
輪郭をしっかり立てることで、形も印象も強くなる。


それが当時の印象派の絵の中では、私には少し異質に見えて、そこがすごく嬉しい発見だった。

「有名だからすごい」じゃなく、
あ、自分はここに惹かれるんだな
と気付けたことが嬉しかった。

好きになるって、そういうことなのかもしれない。

 

  完成した名画より、“そこへ向かう工夫”が印象に残った

 

今回の展示で強く心に残ったのは、完成した作品だけじゃなかった。
むしろ私は、そこへ至るまでの工夫や試行錯誤に惹かれていた。

とても印象的だったのが、デッサンだ。
ランタンとつるはしを持っている工夫のデッサン。


あれは単純に「うまい」と思った。

でも、それだけじゃない。
どう持たせるのか。
どう立たせるのか。
どう見せれば伝わるのか。

 

「貧しい人々への憐れみと感情」工夫や農夫へのなんだろう・・・モヤモヤを表現したんだろう。

何をどう伝えたかったのか、単純に過酷な状況でも生きている事の証明?

しかし、表情はみんな暗い。刻まれた皺、睨むような瞳、不満を感じるが、怖さは無い。

不思議な表情なのか、表現なのか・・・

 

ただ、そういう描く前の思考が見える感じがして、すごく面白かった。

 

さらに、手紙に描かれていたデッサンも印象的だった。
完成作ではないのに、いや、完成作ではないからこそ、線の巧さや観察の鋭さがそのまま見える。

 

名画の前で「すごい」と立ち尽くすのももちろん良い。


でも私は今回、そこへ辿り着く前の、少し泥くさい工夫や模索に強く惹かれた。

たぶんそれは、上手くいった結果より、上手くいかせようとする過程に、人間らしさを感じたからだと思う

 

  後期のオリーブ畑に見た、“らしさ”といううねり

『オリーブ園』

後期の作品では、やはりオリーブ畑がとても印象的だった。

あのうねり。
あれは、まさに“ゴッホらしさ”だと感じた。

 

ただ風景を描いているだけじゃない。
木も、空気も、風も、感情も、一緒に動いているように見える。
景色の再現というより、景色を見た時の内側の揺れまで描いているように思えた。

 

よく、晩年の作品は精神的なものと結びつけて語られる。
たしかに、そう言いたくなる迫力もある。

 

でも今回の私は、単なる不安定さより、それでも表現しようとする熱量の方を強く感じた。

うねりや躍動は、壊れそうな苦しさだけじゃない。
 

見たものを、自分の中を通して、どうにか形にしようとした痕跡にも見えた。

だから惹かれたんだと思う。

 

  色を使って“透明”を求める、その感覚に惹かれた

『コップのある静物』※調べたよ!

もうひとつ、とても印象的だったのが、
色を使って透明を求めたという話だった。

 

透明を表現することに夢中になった。
机の上に水が置いてある絵を見ながら、その説明がとても強く残った。

作品名を忘れてしまったのは、ちょっと悔しい。


でも、名前を忘れても、心が動いたポイントは覚えている。
それで十分なんじゃないかと今は思う。

 

透明は、本来“見えない”ものだ。
なのに、それを描くために色を使う。
そこに私は、ただ物を描くのではなく、見えにくいものをどう見せるかに取り憑かれたような執着を感じた。

 

見えるものをそのまま写すだけでは足りない。
空気や光や透明感まで掴みたい。
そんな欲望が滲んでいて、すごく良かった。

 

芸術って、上手い下手だけじゃなくて、
何を見ようとしていたのか
が見えると、一気に近くなるんだなと思った。

 

  荒々しさの奥に、繊細で不器用な人間がいた

私は勝手に、ゴッホという人に対して、
情熱的で、荒々しくて、感情に飲まれるタイプの人、というイメージを持っていた。

 

もちろん、その印象は完全には間違っていないのかもしれない。


でも今回の展示では、それだけじゃない姿が見えた。

繊細で、葛藤があって、不器用で、それでも何かを表現し続けようとする人。


そんな人柄が、作品の変化や、残されたものの端々から伝わってきた。

そして何より、支えていた弟夫婦との関係が、なんだかとても良かった。

唯一の理解者である弟テオに必死に何かを伝えようと手紙を書く、もはや「報告」を超えて「共有」の渇望。


詳しく語りすぎなくても、そこに温度がある感じがして、少しほっこりした。

天才とか狂気とか、強い言葉だけで片付けると見えなくなるものがある。


むしろ私は、そういう大きな言葉の陰に隠れた、人間らしい小さな揺れに親近感を覚えた。

激しい人だった、では終わらない。
ちゃんと悩み、ちゃんと支えられ、ちゃんと揺れていた人だった。
だからこそ、作品にも惹かれるのかもしれない。

 

  37歳という年齢が、今の私には重く見えた

享年37歳。

この数字が、今回とても重く残った。

小学校の頃に見ていた時は、そんなことを考えもしなかった。
大人になってからも、「有名」「高額」「すごい画家」という情報の方に意識が向いていた。

でも今は違う。
彼の年齢を越えたからこそ、初めて感じるものがあった。

たった37年。
その中で、これだけ模索して、取り入れて、変わって、描き続けたのかと思うと、作品の見え方がまるで変わる。

そして同時に、私は思った。
今の自分だからこそ見付けられる時間があったのだと。

 

昔は分からなかった。
でも、その分からなかった時間も無駄じゃなかった。
子どもの頃に“色が濃くて目立つ絵”としてしか見られなかったことも、
大人になって“高額な名画”としてしか見られなかったことも、
全部ひっくるめて、今この瞬間に繋がっていた気がした。

ゴッホを見に行ったはずなのに、気付けば私は、
これまで自分が生きてきた時間の意味まで噛みしめていた。

それが、今回いちばん大きかったことかもしれない。

 

昔は分からなかった。
でも、分からなかった時間にも、ちゃんと意味はある。

そんなことを思えた展示だった。

 

  名画を見る時間というより、“変化と人間らしさ”に出会う時間だった

 

今回のゴッホ展は、ただ有名な絵を見る時間ではなかった。

変化を見られた。
工夫を見られた。
迷いも、模索も、うねりも見られた。
そして何より、作品の向こうにいる“人”を感じられた。

ゴッホの魅力は、完成された天才らしさだけじゃない。
ずっと何かを取り入れて、ずっと変わり続けて、ずっと表現を追いかけていたところにあるんだと思う。

 

だから今回の展示は、とても素敵だった。
ただ絵が上手いとか、有名だとか、そんな話だけでは終わらない。
人間らしさごと味わえる展示だった。

 

最高です。
かなりおすすめです。
ぜひ行ってみてほしいと思える展示でした。

 

 

  ただ一つの誤算は、帰り道の寒さだった

 

そして最後に、唯一の誤算がある。

寒さ対策を、完全に怠ったことだ。

 

昼間はそこそこ暖かい。
だから軽装で出かける。
でも美術館を出たのは17時過ぎ。

 

そりゃもう、寒い。
最高に寒い。
「この時期ならもう少し暖かいのでは?」という私の甘さは、夕方の冷気に一瞬で叩き潰された。

そこから晩ご飯を探して、少しゆっくりして帰った。
でも、その寒さも含めて、なんだか“その日の記憶”としてすごく残っている。

感動して、冷えて、晩ご飯を食べて帰る。


芸術も現実も、だいたいそんなふうに混ざっている。

それも含めて、楽しかったです◯