皆さん、こんにちは。

ふとした夜、「私、なんでここに居るんだろう」「私の人生、何の意味があるのかな」なんて、

底なし沼のような孤独に飲み込まれそうになることはありませんか?

 

周りと比べては、何者にもなれない自分を責めて、

誰かに「居ていいよ」って承認(許し)を求めて彷徨ってしまう……。

 

今日は、そんな葛藤の中にいるあなたへ、「本来的価値論」という、

ちょっと不思議で、最高に明るい「諦めの哲学」をお届けします。

 

読んだ後、少しだけ肩の荷が軽くなるはずです。

あなたは「そこに居るだけ」で、爆弾級の価値がある

人はよく言う。

「自分には価値があるのかな」
「生きている意味が分からない」

でも最近、私は思うようになった。

もしかすると――
私たちは最初から、少し勘違いしていたのかもしれない。

 

  「価値」と「意味」は違うものだった

 

まず、この数式を見てください。アインシュタインが発見した、世界で一番有名な式です。

 

E=mc2

(エネルギー = 質量 × 光速の2乗)

 

これ、実は「存在論」として読むとすごいんです。

 

「質量(重さ)があるものは、そこに存在しているだけで、

凄まじいエネルギー(価値)を持っている」

 

動いていなくても、
何もしていなくても、
そこに“在る”だけでエネルギーを持っている。ということ。

 

あなたが今日、一歩も動けず、何も生産的なことができず、ただベッドの上で呼吸をしていたとしても。

あなたという「質量」がこの宇宙に存在しているだけで、あなたは物理的に莫大な価値そのものなんです。

価値は、誰かに認められるものではなく、最初から備わっている「物理現象」。

動いていなくても、あなたの「静止エネルギー」は、太陽のように輝いています。

ここまでは、案外シンプルな話だ。

 

じゃあなぜ私たちは悩むのか。

価値があるなら、
なぜ孤独になるのか。

理由はたぶんこれだ。

私たちが欲しいのは「価値」ではなく、
「意味」だから。

  「意味」が欲しいのは、自分を「許したい」から

 

「価値があるのは分かった。でも、やっぱり苦しいよ」

そう思うのは自然なことです。ここで、私たちが陥りがちな「価値」と「意味」の勘違いを整理しましょう。

  • 価値(Value): あなたが「在る」という物理的事実。100点満点中、常に100点。

  • 意味(Meaning): その価値をどう使うかという「物語」

私たちは、自分の持っている巨大なエネルギー(価値)をどう扱っていいか分からず、不安になります。

だから、「誰かの役に立つ」とか「目標を達成する」といった物語(意味)を欲しがります。

 

それは、自分自身に「ここに居てもいいよ」という【許し】を与えたいから。

 

「私がここに居るのは?」

この努力は報われるのか

「何でここに居るの?」っていう理由になる物語を欲している。

それは、「許し」が欲しいから。

 

評価が欲しいんじゃない。
本当は、「それでよかったよ」

という物語が欲しい。

 

だから不安になる。

 

でも、覚えておいてください。

「意味」が見つからなくても、「価値」が減ることは1ミリもありません。

 

  バンクシーの絵のように、人生は「勝手に解釈」していい

哲学者ベンヤミンは、こう考えていた。

「物語が失われつつある」

 

昔は人生に共通の意味があった。
でも現代では、それが壊れた。

だから私たちは、自分で物語を作るしかなくなった。

日記を書く。
詩を書く。
ブログを書く。

それは発信じゃない。

自分に意味を与える行為なんだと思う。

 

しかし・・・・正体不明の芸術家、バンクシー。

彼が誰なのか、何を考えて描いたのか、真実は誰にも分かりません。

 

でも、見た人が「これは素晴らしい!」と感動すれば、そこに価値が生まれますよね。

人生も同じです。

「真実は、受け手の解釈」でいいんです。

 

「心理は解釈なんだ。真理も解釈なんだ。好き勝手解釈して物語を作ってしまえばいい。」

  • 悲劇を、後日談を作って「喜劇」に書き換える。

  • 失敗を、笑える「落語」のネタにする。

  • 何の意味もない一日を「充電という名の聖域」と呼ぶ。

真実なんてどこにもない。

あるのは、あなたがどう語るかという「二次創作」としての人生だけです。

   承認なんて、ただの「ゲーム」

 

「誰かに認められたい(承認欲求)」という気持ち。

これは、自分の価値を確認するためではなく、自分の作った「嘘(物語)」がどれくらい通用するか試す、

いわばオンラインゲームのマルチプレイのようなものです。

 

「承認なんて必要ない。承認が欲しいならされたものを選べばいいだけのだ。都合の良いものを選ぶので解決でしょ?」

 

誰かに否定されたとしても、それは単に「その人の解釈(作風)」があなたと合わなかっただけ。

 

写真家・篠山紀信はこう言った。(篠山先生のお弟子さんから聞きました。)

「言語化できるから芸術になる」

感じたことを言葉にした瞬間、ただの出来事が「作品」になる。

 

同じように、

人生も語った瞬間に物語になる。

悲劇にもなるし、喜劇にもなる。

 

あなたの物理的な価値E=mc^2には傷一つ付きません。

 

  インチキな世界で、最高の嘘を生きよう

結局、人はそれぞれの解釈で世界を見る。

同じ出来事でも、

  • 悲劇にする人

  • 笑い話にする人

  • 成長物語にする人

全部違う。

哲学者ニーチェは言った。

「事実は存在しない。解釈があるだけだ。」

だから真実を探し続けて苦しむより、

自分が納得できる物語を選んでもいいのかもしれない。

 

どうせこの世界は、それぞれが自分勝手なメガネ(認知バイアス)で覗き込んでいる「インチキな嘘の物語」です。

だったら、もっと図々しく、自分に都合の良い「真実」を選びませんか?

 

「私は、ただ居るだけで宇宙レベルの価値がある。そして、その価値をどう楽しむかは、私が勝手に決める。」

そう自分に許可(許し)を出してあげたとき、あなたの物語は、もっと自由で、鮮やかで、明るいものになるはずです。

 

価値は、最初からある。
失われていない。

足りないのは意味だけ。

だから私たちは今日も、「これでよかった」と言える物語を探している。

孤独なのは弱いからじゃない。

意味を求めている証拠だ。

そしてたぶん――こうして言葉にしている時点で、
もう少しだけ、自分を許し始めているのかもしれない。

もし、あなたが今、自分に「許し」のハンコを押すとしたら……。 

どんな自分勝手な「物語」を書き始めたいですか?

 

コメントで教えていただけたら、私も一緒に「その嘘、最高だね!」って笑い合いたいと思います。

今日も、あなたがそこに居てくれるだけで、世界は莫大なエネルギーに満ちています。