夜、一人でスマホを眺めていると、

「世界に自分一人しかいないんじゃないか」という錯覚に陥ることはありませんか?

 

SNSには誰かの日常が溢れ、街に出れば話し相手もいる。 

それなのに、胸の奥には冷たい風が吹き抜けている。 

 

実は、現代社会は「孤独を集めて作られたモザイク画」のようなものです。

誰もが寂しさを抱えながら、それを隠すために「ちゃんとした大人」の仮面を被って生きている。

 

今日は、日本の最底辺を自認する私が、古今の哲学者や物語の力を借りて、

この「孤独という病」の正体を暴いてみたいと思います。

孤独を集めて出来ている世界

人は孤独を嫌う生き物だと言われる。

だから人は集まり、社会を作り、組織を作り、家族を作り、SNSを作った。

なのに――

こんなにも人がいる世界で、どうして私たちは孤独を感じるのだろう。

電車には人がいる。
職場にも人がいる。
スマホを開けば誰かの声が流れてくる。

 

それでも夜になると、「あれ?私は、どこにも居ない気がする」

今日は、その孤独について少し整理してみたい。

  私たちは「他人の目」という檻に住んでいる

 

なぜこんなに寂しいのか。

それは、私たちが「他人の目」を通してしか自分を確認できなくなっているからです。

 

 

参考:ソクラテスの「鏡」 

古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、対話(他者)なしに自己は成立しないと考えました。

「汝自身を知れ」と語ったが、彼は一人で考え続けたわけではない。
常に対話を通して自分を探した。

自分一人の思考は見えませんが、他者と対話することで、初めて自分が何者かが鏡のように映し出されるのです。

 

さらに近代哲学では、ヘーゲルが「承認」という考えを示す。

人は、誰かに認められて初めて「私」になる。

名前を呼ばれ、反応され、理解されることで自己が成立する。

言い換えれば、

私たちは社会に生きているのではなく、
他人の目の中に生きている
のかもしれない。

 

しかし、現代の「鏡」は歪んでいます。 

ハラスメントを恐れ、評価に怯え、常に「正解の自分」を演じる。

他人の期待に応えようとすればするほど、本当の自分は見失われ、喪失感という名の孤独だけが残ります。

 

  孤独は「搾取」のためのインフラである

 

さらに残酷な視点があります。私たちは孤独に「させられている」のかもしれない、という仮説です。

 

引用:ミシェル・フーコーの「構造」 

フランスの思想家ミシェル・フーコーは、
人間は社会の制度や規範によって形作られる存在だと考えた。

学校、会社、常識、マナー、評価。

私たちは知らないうちに「望ましい人格」を演じる。

孤独でバラバラな個人は、結託もしなければ、理不尽に抗うこともありません。

 

支配する側にとって、孤独な人間ほど扱いやすい存在はありません。

不安を埋めるために消費し、寂しさを忘れるために働き続ける。

 

 

誰からも嫌われないけれど、本当の自分を置く場所がなくなる。

孤独とは、一人でいることでも、私たちが自ら選んだものでもなく

孤独は・・・効率よく搾取されるために「与えられた配給品」なのです。

 

   ホールデンが叫んだ「インチキな世界」

この偽善だらけの社会を、真っ向から罵倒した少年がいます。

 

ライ麦畑でつかまえて J.D.サリンジャーの小説

サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公、ホールデンです。

彼は世の中を「インチキ野郎(phony)」だらけだと嫌悪しました。

それでも彼は人を求め続ける。
つまり孤独とは、人間性の欠如ではなく、人を求める力が残っている証拠なのだ。

 

彼(主人公ホールデン)は反抗しているのではない。

社会の仕組みに気づいてしまったのだ。

 

本心で繋がりたいのに、誰もが仮面を被っている。

その「純粋さ」ゆえに、彼は孤立します。 

 

「ライ麦畑で遊ぶ子どもたちが崖から落ちないように守るキャッチャーになりたい」 

そんな彼の切ない願いは、自分自身すら救えな

い私たちの無力感と重なります。

「傷つくことを奪ってはいけない」とは、何とも辛い現実の認識なんだろうか・・・

   絶望の先に見つけた「石を削る音」

 

では、私たちはこの孤独という監獄からどう脱出すればいいのか。 

 

映画『ショーシャンクの空に』

 

 

その答えを、映画『ショーシャンクの空に』のアンディが教えてくれます。

彼は孤立無援の刑務所の中で、何十年も小さな金槌で「石を削り」続けました。 

希望とは未来の約束ではなく、「今の行為に意味がある」と信じる力だったと言っているように思える。

 

自己とは、誰かに見られる存在ではなく、「何かを継続する行為」そのものなんじゃないか?

と、感じさせてくれた。

 

誰に読まれなくても、私はシンプルフレーズを書き続ける。誰に笑われても、私はおにぎりを噛み締めて今を生きる。

 

  孤独とは欠陥ではない

 

ここまでをまとめると、孤独には三つの顔がある。

  1. 他者のまなざしで生まれる自己(ソクラテス・ヘーゲル)

  2. 社会構造によって生まれる人格(フーコー)

  3. 行為によって支えられる自己(ショーシャンク)

そして私たちは、そのすべての間で揺れている。

孤独は失敗ではない。

むしろ、世界をちゃんと見ようとした時に現れる感覚(ホールデン的)

なのかもしれない。

 

  だから孤独な社会になる

 

現代社会は、孤独な人たちが集まって出来ている。

誰もが寂しさを抱え、
誰もが理解されたいと思いながら、
少しずつ本音を隠して生きている。

それでも私たちは人を求める。

完全に孤独になれないから、人間なのだろう。