たぶんさ。
自己否定って、謙遜という名の美徳として・・・かなり広く浸透してるんだと思う。
「私なんて」
「全然ダメで」
「まだまだです」
これ、もう癖みたいなものだよね。
その上に、「人に迷惑をかけちゃいけない」
っていう刷り込みがある。
執着を捨てろ。
自己を捨てろ。
欲を捨てろ。
それが正しい、みたいな空気。
仏教的価値観って言えば綺麗に聞こえるけど、
言い方を変えれば、状況と環境に流される他力本願な生き方
って、言ったら怒られるのかな?
でも、現実ってそうじゃない?
過剰な謙遜は美徳のように扱われるが、それは時に「言い訳」の隠れ蓑になる。
「自分は選んでいない」「できないから」「悪い奴だから」……。
そうやって自分を低く見積もることは、結局、何かあった時に「人のせい」にする理由を作っているだけではないか?
世の中は、何かを「できる」ように、何かを「持つ」ようにと急かしてくる。
仕事の成功、家族の感謝、人より優れた立場。
自分のことを自尊して、
少し誇って、
尊ぼうとした瞬間に、
自己中。
わがまま。
ナルシスト。
「めんどくさい。」って言われるのが世の常だろう。
でも私は思う。己惚れているくらいが丁度いい。
己惚れって、他人を下に見ることじゃない。
自分を評価するときに、+αで見るってことだ。
どうせさ。
自分の自己評価と、他人の評価が一致することなんてない。
他人から見たら、十分魅力的な部分もあるかもしれない。
肩書きで持ち上げられることもある。
リップサービスもある。
先入観もある。
それも全部、自分に向けられた評価だろ?
だったら、それも含めて自分だって
言い切っていいんじゃないか・・・?ダメかな?
己惚れているって聞くと、なんか痛いイメージが浮かぶ。
でもさ。
己惚れている人って、
行動力あるよ。
発言力あるよ。
意欲あるよ。
何より、ミスも後悔も「自分が選んだからだ」って受け止められる。
これ、めちゃくちゃ大きい。
自己否定や謙遜が過ぎると、
「自分は選んでない」
「出来ないから仕方ない」
「環境が悪い」
「誰かのせい」
って、そっちに流れやすい。
私はね・・・それでは耐えられない。弱いから・・・
世界の不条理も、苦しみも、悲しみも、全部人のせいにし始めたら、
私はたぶん・・・復讐の鬼になってる。
善悪とか関係なく、行為に走る未来が見える。
それくらいの波乱は、正直楽しませてもらったからね。
でも、そうならないのは、
きっと私は・・・自分に酔ってるからだ。
己惚れて、
自惚れて、
うぬぼれている。
それは、不安と不満に押し潰されそうな現実の中で
生きるために必要なんだと思っている。
自分を少し高く見積もらないと、この世界は重すぎる。
「自分を大切に出来ない人は他人も大切に出来ない」
って言葉、よく聞くけどさ。
そこまで難しくなくていい。
マキャベリも言ってる。
人は利己的だ。
マルクスだって、
行為の結果は本人が受け取るって話だし。
ハイデガーだって、
話せる間は生きているって言ってる。
formyselfでいいじゃないか。
DIYだよ。
己惚れって、DIYなんだと思う。
Do It Yourself。
自分の人生は、自分で作っていい。
他人の評価に合わせて削らなくていい。
謙遜という名のヤスリで、
自分を削り続けなくていい。
己惚れているくらいが、ちょうどいい。
それは傲慢じゃない。
責任を引き受けるための、
最低限の自己肯定だ。
私は今日も、少しだけ自分に酔って生きる。
その方が、復讐よりずっと健全だから。
できないことを、できないと明らかにして、受け入れる。
ありのままを目指すのではなく、自分の器の分だけで満たされる道を選ぶ。
私は今日も、自分のために用意した「うぬぼれ」という名のペンキを塗り、ピエロとして舞台に立つ。
それが、この不条理な世界を生き抜くための、私なりの誠実さなのだ。



