今の自分の状況や環境
自分自身の姿や流れる時間・・・・
望み通りになっている人なんて、いったい・・・どれだけいるんだろうか?
少なくとも、私は自分の現実に満足している人に出会ったことが無い
それは、ただただ人間の欲望にキリが終わりが果てが無いだけなのかもしれないし
不満を撒き散らしているだけかもしれないし
誰かの共感を求めて、自分の存在をアピールしているだけかもしれない
終わらないのは、夢なのか欲望なのか
今の自分の状況や環境や状態
「満足」って言える人なんて、いるんだろうか?
私は・・・少なくとも私は、現実に満足するなんて出来る時は来ないと思う
常に無いものねだりで・・・
友人と楽しく過ごしていようが
お酒を楽しんでいようが
趣味を満喫していようが
その瞬間だけで、「素敵」は終わってしまう。
ただ、終わった時に「楽しかった」っていう過去形の満足はあるけど
その瞬間・体感して、実体験のその時には、
何かを満たしているとは感じることは出来ない
そう・・・終わった時に『どうやって感想を作るか?』だけに感情を左右されているだけに想えてしまう。
結局、私達は無いものを欲しいと願う
空腹のときに食べ物を「おいしそう」って認識するように
満たされていないモノを見た時に
自分の不平不満を並べるんじゃないかと感じている。
出来ない事を実感したときに、出来る人を見て羨ましいと思い
持っている人を見て、欲しいと思い
やっている人を見て、やりたいと思う
そんなもんだよね。
希望も願望も欲望も、他人を見るから感じるだけ。
でも、その無いものねだりが私を生きながらえさせている。
全部失って、もう・・・自分自身も手放したいと思ったときももちろんあったさ
でも・・・
それでも・・・・
私は満たされていないんだ。
ずっと夢見てる。ずっと無いものねだりの欲望を持っている。
いつか・・・どこかで・・・なんとかして・・・
ワンチャン・・・運が良ければ・・・
何て、自己都合の自己満足を達成しようとして生きている。
他の誰かは知らないよ。
あなたのことまで私には分からないよ。
私は、私のことですら分からないから・・・
その上で言うなら
人は常に・・・どこまでいっても・・・
なにをてにいれても・・・仮に何も手に入れなくても、どこにも行かなくても、何も出来なくても
夢の中から抜け出せない。
幻想とフィクションを常に追い求めている
だから、いつまでも不満と不平と不幸な自分を主張し続けている。
そう・・・それが私だ。
いつまでも、自分の不幸自慢をしてしまう。
本当に情けない。
夢の中で生きているんだよ。
「死に方を学ぶ」なんて大層なことを言った偉人で賢人で著名人が居たけどさ
きっと、死ぬときにだけ、目覚めるんだよね。
それまでずっと夢の中。
無いものねだりで、不満と不平と不遇と不幸を抱えて
誰も分かってくれず、誰も助けてくれず、誰の手も取れず、誰も助けられず、誰も導けないで
悔しさと悲しさを抱えて
それを、諦めて手放す時が・・・夢の終わり。
その時まで、夢を追い求めながら叫び続けるしかないのかもしれないって
最近思ってしまうのは・・・
まだまだ、自分を手放しきれない証拠なんだろうね。
「人を目的として扱え」?道具でも良いから居場所を下さいって思う。
「他者性と公共性が意味と価値」?奪う側の人との交流は、私を捧げるだけになる気がする。
「習慣が人を作る」?習慣は社会と世界が時間で拘束して身動きとれないよ。
って、私みたいにな皮肉屋は、生きにくいって感じるのが世界なんだろうね。
だからこそ、信じたい。
E=mc2
質量があるから、エネルギーっていう意味を持つっていうモノを信じたい。
私にはまだ、肉体っていう質量と、時間っていう速度があるから、そこにはエネルギーっていう価値をあるって信じてる。
まぁ?終わらない夢って言う話ですよ。ただの夢の話しですよ。
私に意味と価値を見出だすのは私の生き様を、未来の生者が作るんだろうからね。
エルヴィンも言ってたね・・・

