人はその時々で表情を変える。
感情に左右される時もあれば、状況に左右される時もある。
仕事モード?
家庭モード?
一人モード?
楽しいモード?
私にだって沢山ある。
演じている時と、演じていない時と、両方が混ざっている時と、何も考えていない時もあれば
考え過ぎて分からなくなっている時
そして今は、きっと分からなくなっている時が多い
誰にも言えないこのモヤモヤを発散させたいと思うこともあれば
モヤモヤを抱えて暗く深い部分に墜ちていきたい気持ちもあり
散財して気分転換に走りたくなる気持ちもあれば
必死に利益を求めて、値動きに気を使う瞬間もある
自分のコトほど分からないモノだ。
人の何かが・・・思いや感情や何を考えているか分からないなんてよく言うけど・・・
自分のコトが一番分からない。
それなのに、自分のコトは自分が一番分かるなんて言う人も居る。
そして私は自分に問いかける。
「どうしたい?」
「何を願い、何を望む?」
神に祈るように、自分の願いを考えることもある
誰かの幸せを願い、自分の欲望を願う
誰かの幸せって何だろうか?って思う時もよくあるが・・・
衣食住があり、笑顔で笑っていてくれることを願うくらいしかないだろう・・・
なら?自分は?自分のコトは何を願う?
結局、お金になってしまうのが、人らしさなのか・・・私の醜さなのか・・・
俗物的に資本の充実を願ってしまうあたりが、私がまだまだ現実の世界を生きている証拠な気がしないでもない。
私は、願っている時どんなモードでいるんだろうか?
真摯な気持ち?
欲望まみれの姿?
流されるだけの空虚なマネキン?
願う時の自分の姿は、真摯な気持ちで、俗物的な欲望を願う。
なんと滑稽なんだろうか。
真摯に欲望の充足を願うとは・・・
やっぱり人は、少なくとも私は・・・現実の世界でしか生きられないらしい
どれだけ、想いを巡らせて、思考を回し、思想を強くするための行為を目指しても、
生きているっていう事実からは逃れられない。
規範と枠組みの檻に入れられた家畜でしかないんだと痛感する。
神に祈る時に、願いを感じる時に、夢を語る時に・・・
自分が家畜で社畜で、世界の奴隷だと認識するとは、悲しいね。
私のモードはきっと・・・常に何かの支配下にあるんだとしたら、使い分けるモードは・・・
仕事でも、家庭でも、1人でも、なんでもなく・・・
家畜モードと社畜モードなのかもしれない。って思うと、解放されたいって思ってしまうのは私だけなんだろうか?
だからこその、自分探しで
だからこその、自分への問いかけで
だからこその、自分の為に生きたいと願い思い夢見てる
でも、その先に何があると思っているんだろう?
自分を見付けて手に入れた先に何があるんだろう?
世界からは逃れられないのに・・・何があると思っているんだろうか?
救いなんて無いのにね。生きやすい世界なんて無いのにね。自分らしさなんて・・・世界には通用しないのにね。
敵しかいない世界で、悲しみしか生まない世界で、
それでも、喜びは探したいさ・・・
私は本来的価値を見付けて、伝えていくよ。
それが私の本来的価値モードだからさ・・・

