皆さん、こんにちは。今日も元気に「誠実で真面目で素敵でナイスな男性」を演じている私です。
……ええ、あくまで「演じている」のです。
結果が伴っているかどうかは、私の管轄外ですのであしからず。
突然ですが、皆さんに絶望的なお知らせがあります。
コミュニケーションって、実は始まった瞬間に「敗北」が決まっていると思いませんか?
こっちは100の善意を込めて「おはよう」と言ったのに、相手の脳内フィルターを通れば「今日のあいつ、なんか計算高くない?」と変換される。
服装を整え、言葉を選び、理性という名の重厚な鎧を着込んで戦場に向かっても、
相手に届くのは「なんかチャラい」「中身がなさそう」という、身も蓋もない誤解のオンパレード。
そう、私たちのコミュニケーションは、OSがバラバラのPCを無理やり繋いだ時の「文字化け」みたいなものなのです。
コミュニケーションの敗北って、要するに「翻訳ミス」なんだと思う
伝えたはずなのに、伝わってない。
良かれと思ったのに、逆に受け取られる。
これ、よくある。
というか、当たり前に起きる。
コミュニケーションって、
「送信」じゃなくて
「相手の脳内で翻訳される作業」だから。
コミュニケーションの敗北は、当たり前に起こる
自分が意図しない形で相手に伝わった時に・・・
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真面目に生きているつもりなのに、そうは見られない。
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目立たないようにしているのに、なぜか目立つ。
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陽気で楽しい人でいたいのに、評価は「チャラい」。
どれだけ自分で自分を正当化しても、変えられない現実が目の前に残ります。
他人が作り上げた「勝手な自分像」が一人歩きし、一度のミスが致命傷になる。
どれだけ演じても、取り繕っても、変えられない評価と心証は存在するのです。
正直、詰んでると思いませんか?
「ありのまま」という名の絶壁
じゃあ、「ありのままの自分を見てほしい」と願えば救われるのか?
……いや、それはあまりにハードルが高すぎます。
もし理性を捨てて、感情と欲望のままに自分を表現したら、もう言い訳すら成立しません。
否定と最低のレッテルを貼られて、助かる道はなくなるでしょう。
私たちが「理性」を保っているのは、それが規範やモラルとの「落としどころ」を作ってくれているから。
「もう誰とも喋りたくない」 「引きこもって自分の世界だけで完結したい」
そう思うのも当然です。未来のネガティブを予見して自粛する。
これ、現代人の生存戦略としては正解ですから。
でも、私たちは悲しいかな、単独交配できない生き物。
一人では生きていけないし、一人では「自分」を定義することすらできません。
そこで登場するのが、悪魔の仕組み「間欠的報酬」です。
パチンコと同じですよ。
99回ハズレ(誤解・不和・沈黙)を引かされても、たった1回「あ、今、伝わったかも!」という奇跡のLUCK(当たり)を引いてしまうと、脳からドーパミンがドバドバ出てしまう。
そのたった1回の「美しい誤解」のために、私たちは「敗北」が約束されたスロット台(他者)の前に座り続け、今日もせっせとコイン(言葉と感情)を注ぎ込んでしまうのです。
なんて業の深い、滑稽な生き物なんでしょう。
闇鍋に「スパイス」を投入せよ!
勝利条件がない。正解もない。 そんな「詰んだ」状態から、どうすればいいのか?
ここで、私の提案です。
スピリチュアルも、自己啓発も、全部「スパイス」として闇鍋にぶち込んでしまえばいい。
真面目に真正面からぶつかって、否定と最低のレッテルを貼られて終わる……そんなの、あまりにコスパが悪すぎますよね。
「人生という名の闇鍋に、スピリチュアルと自己啓発のスパイスをぶち込む」
これ、最強です。
スピリチュアルのスパイス:
「話が噛み合わないのは、私の波動が高すぎるからだ。次元が違うんだから仕方ない」と、責任を宇宙のせいにして自分を切り離す。
自己啓発のスパイス:
「この誤解すらも、自分を成長させるためのWin-Winな試練だ」と、冷徹にゲームとして攻略する。
信じる必要なんてありません。
ただの「味付け」です。 ドロドロの闇鍋(現実)を、少しでも美味しく、あるいはマシな味にするためのチートコード。
それらを駆使して、「自分だけの物差し」を作り上げるんです。
「相手がどう思うか」を勝利条件にするから苦しい。
そうではなく、「今日はこの鎧(ナイスガイのコスプレ)を着こなした自分、マジで100点!」と、自己満足で完結させてしまえばいい。
シンプルフレーズなら、こうする
コミュニケーションに勝ち負けを作らない。
自分の舞台を押し付ける、
と言うと語弊があるけれど・・・
自分が与えたい認識を、自己完結で、自己満で、撒き散らす。
それでいいと思っている。
例えば
真面目な印象を作りたいなら、ONとOFFを分ける。
その場その場で変える。
服装、髪型、化粧、持ち物。
中身なんて、簡単には変わらない。
だったら、鎧を変えることに全振りする。
それは、十分にアリな選択だと思っている。
私ね?誇り高き「ポンコツ・ナイスガイ」として生きる
さて、冒頭の話に戻りましょう。
私は今、全身全霊で「誠実で真面目で素敵でナイスな男性」を演じています。
でも、現実の出力結果は、なぜか「ポンコツ」です。
一生懸命歩こうとして、自分の鎧の重さに耐えきれず、派手に足をもつれさせて転んでいる。
人からは「あいつ、何やってんだ(笑)」という目で見られている。
……最高じゃないですか。
どれだけ取り繕っても、にじみ出てしまう「人間感」。
理性でガチガチに固めたルールと、そこからはみ出してしまう欲望の残骸。
その「ズレ」こそが、コミュニケーションという不毛な戦場に咲いた、一輪の毒花です。
「本当の自分を見てほしい」なんてハードルの高いことは言いません。
ただ、自分が選んだ「最高の鎧(ナイスガイ)」を着て、今日も元気に空回りする。
相手の土俵に上がって、派手に転んで、ハズレの景品を持ち帰る。
そんな「マシな敗北」を積み重ねること。
それが、詰んでいる現代を軽やかに生き抜く、私なりの「答え」です。
皆さんも、今日一日、盛大に誤解されてみませんか? 大丈夫、その闇鍋、味付け次第では意外とイケますよ。
シンプルフレーズ
コミュニケーションは「伝わるか」じゃない。「どう演じきったか」の自己満足である。
私はこれからも、ナイスガイを演じ続け、そして派手に空回りするポンコツであり続けるでしょう。
にじみ出る人間感。それは本質かもしれないし、本当の姿かもしれない。
でも、その「思い通りにいかない姿」すらも闇鍋の具材にして、笑って食べてしまおうと思っています。
コミュニケーションに正解なんてない。
だからこそ、自分だけの味付けで、このカオスな日々を楽しんでいこうじゃありませんか。
それでは、また次回の記事でお会いしましょう!



