同じ時間に起きて、
同じ道を通って、
同じ仕事をして、
同じように一日が終わる。
飽き性ってダメですか?刺激がない日常に耐えられないだけなんです
特別なトラブルがあるわけでもない。
嫌な人がいるわけでもない。
むしろ「恵まれている」とさえ言われる。
なのに、ふとした瞬間に思う。
「……つまらない」
この言葉を口にすると、だいたいこう返ってくる。
「贅沢だよ」
「慣れただけでしょ」
「安定してるじゃん」
そう言われるたびに、
自分が飽き性で、落ち着きがなくて、ダメな人間みたいな気がしてくる。
でも本当にそうなんだろうか。
飽きるって、我慢が足りないこと?
「飽き性だよね」
そう言われたこと、ありませんか??
続かないね。
我慢できないね。
落ち着きないね。
言われるたびに、ちょっとだけ胸の奥がザラつく。
でも正直に言うと、私はずっと思っていました。
これって、本当に悪いことなのかな?
刺激があると、人はちゃんと楽しい
新しい仕事を覚えるとき。
初めての場所に行くとき。
誰かと出会ったばかりのとき。
不安もあるけど、どこかワクワクする。
頭が動く。
心が反応する。
世界とちゃんと接触している感じがする。
でも、それが・・・
慣れて、当たり前になって、余裕になった瞬間。
急に、心が静かになる。
「つまらない」とまでは言わない。
でも、何も感じない。
そのとき、人は言う。
「飽きた」
当たり前になった瞬間、人は飽きる
でもそれって、
成長したとか
学び切ったとか
成果を出したとか、
そういう話じゃない。
ただ単に、心が揺れなくなったそれだけなんだと思う。
仕事でも、恋愛でも、日常でも。
毎日同じ時間に起きて
同じ道を通って
同じ会話をして
同じ一日を終える。
安定している。
安心もしている。
でも、心がどこにも行っていない。
社会はそれを「正解」と呼ぶ。
普通であること。
当たり前であること。
波風を立てないこと。
確かに、それは必要だ。
でも——
刺激が一切ない日常に、耐えられない人もいる。
飽き性な人は、刺激を価値にしている
飽き性って、
わがままなんじゃない。
刺激に反応してしまう感受性を持っているだけなのかもしれない。
心が動く瞬間を、
ちゃんと「生きている」と感じてしまうだけ。
だから私は、刺激が欲しい。
安心も安定も大事だけど、
それだけで一生を終わらせるほど
器用じゃない。
自分の居場所は、
まだ分からない。
探している途中だし、
正直、疲れることもある。
でも・・・この不安定で、未確定で、
出来損ないみたいな人生は、
刺激だけは、たくさんある。
だから今日も思う。
さてさて、次は何をしようかな。
それくらいで、生きていてもいいんじゃないだろうか。
シンプルフレーズ
「飽きるのは、怠けじゃない。
心が動かなくなったことに、正直なだけ。」
落ち着けなくてもいい。
定まらなくてもいい。
刺激を求めて彷徨う人生も、
ちゃんと人生だと思う。




