迷いがあるということは、
まだ自分の選択権が残っているということ。
迷っているということは、余裕があるということ。
余裕があるということは、権利が奪われていないということ。
だから私は、責任の話より先に、こう言いたい。
選ぶことを責めるな。
選ぶ権利を守れ。
そして、最終的に人生を残すのは
「選んだ理由」じゃなく、「やった痕跡」だ。
全部回収できなくてもいい。
順番を作ればいい。
次回を残せばいい。
迷いは、可能性の別名だ。
まだ人生を、自分の手で触れられる証拠だから。
全部回収できないと知った瞬間、人は何を選ぶのか?
全部回収できないって、分かった時点で詰む感覚
正直に言う。
人生って、全部回収できない。
行かなかった場所。
選ばなかった道。
食べなかったご飯。
言えなかった一言。
あとから「やっぱりこっちも」なんて出来ない。
この現実に気づいた瞬間、
なんかもう、ズシンと来る。
え、じゃあ私、何選べばいいの?
って。
晩ご飯ひとつで迷うのも、
予定を決められないのも、
旅先を決めきれないのも、
実は全部ここに繋がってる気がする。
選んだ瞬間、
「もう一方」が消えるのが、怖い。
迷ってる自分を責める社会、ほんと嫌い
でさ、ここからが腹立つところなんだけど。
迷ってるとすぐ言われるじゃん。
「優柔不断だね」
「決断力ないね」
「いつまで悩んでるの?」
うるさい。
ほんと、うるさい。
迷ってる=ダメ
この刷り込み、誰が作ったん?
だってさ、
選択肢が無かったら、迷わないよ?
上司の言葉。
親の言葉。
生活の事情。
お金。
立場。
それに逆らって、別の行動を取れるほど、
私はそんなに強くない。
だから分かる。
本当に選択肢が無い時、人は迷えない。
迷うって、余裕が無いと出来ないんだよ。
迷ってるってことは、まだ奪われてないってこと
ここで、ひっくり返す。
迷ってるってことは、
迷えるってこと。
つまり――
まだ自分の選択権を認識できてるってこと。
今日のご飯何にする?
ハンバーガー?ラーメン? どっち?
プレゼントを上げようって?
ハンカチ?ネックレス? どっち?
迷えるのは、
どっちを選んでも「生きていける」範囲だから。
まぁ、後者はプレゼントを上げられる相手が居るっていう勝者の特権だけどね。私は敗者?ドンマイ俺
逆に言えば、
迷える範囲って、自分の出来る範囲。
なのに社会はすぐ言う。
「選んだんだから責任取れ」って。
いやいや、待って。
責任の前にさ、
選ぶ権利、守れてる?
私が大事にしたいのは、
「正解を選ぶこと」じゃない。
迷える余地。
次回に回す余地。
今決めないで、次回に選択の可能性を残そうっていう自由意思。
選択の責任じゃなくて、
選択する権利を奪われないこと。
ここ潰されたら、
夢どころか、希望もクソも無くなる。
人生を彩るのは、行為だけ。だから私はGOでいい
正直・・・正解だったかどうかなんて、どうでもいい。
だって後からしか分からない。
でも一つだけ確かなことがある。
人生を彩るのは、行為だけ。
行った。
食べた。
選んだ。
動いた。
失敗した。
後悔した。
評価は変わる。
意味も変わる。
でも、やった事実だけは消えない。
私は昔からこう。
私にはstayが無い。
常にGO。
やってから考える。
失敗も後悔も積み上げるけど、それでいい。
夢を信じる方法って、
キラキラした気持ちを持つことじゃない。
私の人生は、行為によって彩られるから
全部回収できないって分かったなら、
全部取ろうとしなくていい。
順番を作ればいい。
私は今回、和歌山。で、魚を食べます。
次は四国で、うどんとかカツオ?食べたいって思ってるよ?
分かんないけどね、佐渡島も行きたいし、静岡から関東も気になるからね(笑)
迷いは弱さじゃない。
まだ選べるっていう余裕であり、権利が残ってる証拠。
だから今日も、
文句言いながら、迷いながら、
それでも私はGOで生きる。



