目的地までの移動は、だいたい楽しい
目的地に向かうドライブや移動時間って、不思議と苦にならないことが多い。
渋滞することもあるし、
疲れることもあるし、
トイレを我慢して焦る時だってある。
それでも、
道中でラーメン屋に寄ったり、
お土産屋をのぞいたり、
コンビニで無駄に時間を使ったり。
好きな曲を流して、
誰かと他愛ない話をしながら走る時間は、
振り返ると案外、良い思い出になっている。
目的地に向かっている時、人は「ちゃんと今を使っている」
という感覚を持てるからだと思う。
目的がなくても、移動は楽しい
面白いのは、目的地がなくても成立すること。
なんとなくのドライブ。
あてもないサイクリング。
意味のない散歩。
どこに行くか決めていなくても、風景を見たり、道草をしたり、
「今日はここまでにしよう」と引き返したり。
それだけで、「何かをしている」という実感が生まれる。
無駄に見える時間なのに、虚しさはあまり残らない。
「何かをやっている感覚」があると、人は満足できる
移動時間が楽しく感じられる理由は、楽しいことをしているからだけじゃない。
自分で選んで、自分で今を使っている感覚があるから。
たとえ疲れても、
たとえ大変でも、
主導権が自分にある時間は、
「振り回されている」とは感じにくい。
逆に、
忙しく動いていても、何かをしているはずなのに、
満たされない時間もある。
そこから、「振り回されている感覚」が生まれてくるのかもしれない。
未来のために今を使う・・・その思考が、今を空白にしていないか
振り回されていると感じる時、人は必ずしも忙しすぎるわけじゃない。
時間はある。
動いてもいる。
それなりに頑張ってもいる。
それなのに、
「今を生きている感じがしない」
「満たされていない」
そんな感覚だけが残る。
その正体の一つが、「未来のために今を使う」という思考なのかもしれない。
未来のために、今を犠牲にするのが当たり前になっている
貯金。
保険。
教育。
キャリア。
どれも間違っていない。
むしろ、正しいと教えられてきた。
将来の不安を減らすために、
今は我慢する。
今は耐える。
今は後回し。
そうやって生きてきた人は多いと思う。
でも、ここで少し立ち止まって考えてみる。
未来のために今を使うって、
本当に「自分が選んだ使い方」だろうか?
自分の未来のはずなのに、今が自分のものにならない理由
未来のためなのだから、
自分のためのはず。
自分で選んでいるはず。
自分の時間のはず。
それなのに、
今が楽しくない。
今が苦しい。
今を大切に出来ない。
このズレはどこから来るのか。
それは、
「未来のために今を使え」という考えそのものが、
他人から与えられている場合があるから。
親。
先生。
先輩。
上司。
会社。
社会。
テレビ。
歴史。
誰かの後悔や失敗や犠牲を通して、「こうしないと大変なことになるよ」と・・・不安が手渡されてきた。
だから、未来のために今を使っているようで、
主語はいつの間にか自分じゃなくなっている。
苦しんでいることが正しい、という安心
もう一つ、大きな要因がある。
それは、「自分だけ楽しんではいけない」という空気。
自分だけ助かったらダメ。
自分だけ楽していたらダメ。
みんなと同じように苦しんでいる方が安心。
苦しさを共有していると、
「間違っていない」と思える。
置いていかれない気がする。
これは正義というより、連帯から生まれる安心だ。
でもその安心の代償として、今を自分のものとして使う感覚を、少しずつ手放してしまうこともある。
不安は、本当に自分から生まれているのか
未来への不安は、誰もが持っているものだと言われる。
でも、よく考えてみると、その不安は本当に「自分の内側」から生まれただろうか?
多くの場合、
・誰かの後悔
・誰かの失敗談
・誰かの警告
を受け取っているだけかもしれない。
不安は、自分で発明したものというより、受け取ったもの。
だからこそ、未来のために今を使うという行為も、
最初から「与えられた選択」になっていることがある。
人の話を聞くことと、主語を渡すことは別
もちろん、人の話を聞くこと自体を否定するつもりはない。
先人の知恵も、
失敗談も、
助言も、
大切だ。
ただ、それとこれとは別だと思っている。
それをどう使うか
今をどう使うか
どこまで不安を引き受けるか
それを決めるのは、自分であっていい。
もし何かあったらどうするか、
そう思うなら、その不安ごと引き受けて今を選べばいい。
それなら、主語は自分のまま、自分の時間を使っていることになる。
「もし・たら・れば」だけで生きないために
他人から渡された情報だけで動くと、
人生は「もし」「たら」「れば」で埋まっていく。
失敗したらどうしよう。
うまくいかなかったらどうしよう。
損したらどうしよう。
でも、今を自分のものにしたいなら、少しずつでも・・・
・〜したい
・もっとこうしたい
・〜してみよう
そんな言葉を使ってみてもいい。
不安を消してから生きるのではなく、不安を抱えたまま、主語を持って選ぶ。
世界が嫌なら自分を変えろ、じゃなくて
よく言われる言葉がある。
「世界が嫌なら、自分を変えろ」
でも、私はこの考え方があまり好きじゃない。
無理に自分を削って、合わない世界に合わせるよりも、
自分に合った世界を探す方が、
生き方として誠実なこともある
世界を全否定する必要もない。
自分を全否定する必要もない。
「もっと合う場所があるかもしれない」
そう思って見てみる。
それだけでも、今の時間は少しずつ、自分のものになっていく。
今を大切に出来ないのは、あなたがダメだからじゃない
今を楽しめない。
今を大切に出来ない。
それは、怠けでも、甘えでもない。
ただ、今がまだ、自分のものになっていないだけ。
未来のために今を使うのか。
今を生きた延長として未来を迎えるのか。
その選び方を、もう一度、自分の手に戻してみてもいい。
今が私のものなら、楽しさは後から来る。





