信頼ってなんだろう?

人との関係に疲れて振り回されて生きているのに、他人からの信頼なんて考える余裕が無い。

 

他人の信頼を手に入れるより、自分で自分のコトを大切することが出来ていない。

自分のコトを守れないのに、他人の要求にまで答える余裕が何処にあるんだろうか?

 

でも、居場所・・・私がここに居て良いって言って貰うには、言えるようになるには

誰かの信頼っていうモノが必要になるのかもしれない。

 

今はまだ見つからないけどね。

居場所を作るって、こんなに疲れることだったっけ?

 

「居場所を作るには、信頼を積み上げることが大切だ」

 

そんな言葉を、何度聞いただろう。

たしかにそうだと思う。
この社会で生きていく以上、
他人との関係が、安心や安定につながる構造は避けられない。

仕事も、人間関係も、一人で完結できることは、ほとんどない。

 

だから私たちは、どこかで信頼され、
どこかに受け入れられないと、生きづらくなる。

 

でも――
その「信頼」って、そんなに簡単に積み上がるものだったっけ?

  信頼を作るとは、何をすることなのか

 

では、信頼を作るとは何なのか。

 

遅刻しない。
約束を守る。
ちゃんと働く。
空気を読む。
迷惑をかけない。

当たり前のことを、当たり前にやる。

 

相手の期待に応えること?
期待以上の成果を出すこと?
約束や契約を守ること?

 

どれも間違ってはいない。

結局のところ、
相手が求めているものを提供できたかどうか?
それが、信頼として評価される。

信頼とは、感情の問題というより、成果や結果に紐づいた評価であることが多い。

 

だからなのか・・・
「信頼されている」という実感は、なかなか手に入らない。

 

むしろ、
少しミスをしただけで
一度期待を外しただけで
簡単にゼロに戻される。

信頼って、
貯金みたいにコツコツ増えるものじゃなくて、
成果が出ている間だけ許される仮の評価みたいに感じること、ない?

  「信頼とは何か」という理想

 

「信頼とは、裏切られないと信じることだ」
エーリッヒ・フロム

 

この言葉だけを見ると、信頼って、もっと人間的で、あたたかいもののはずだ。

でも現実ではどうだろう。

 

裏切らないことよりも、
役に立つこと
期待に応えること
成果を出し続けること

それらが出来ている間だけ、「信頼できる人」として扱われる。

信頼というより、条件付きの評価に近い。

 

メイド・イン・ジャパンという信頼

「メイド・イン・ジャパン」は、日本が長い時間をかけて積み上げてきた信頼だ。

壊れにくい
品質が高い
約束を守る

世界からそう評価されてきた。

 

でもそれは同時に、相手が求める水準を出し続けた結果でもある。

求められるものを出せなくなった瞬間、信頼は、簡単に価値を失う。

 

人間関係も、これとよく似ている。

 

  信頼が対価になる時、弱者は生まれる

 

ここに、ひとつの歪みが生まれる。

信頼が
「成果に対する対価」
「役に立つことの報酬」
として扱われる時、

差し出し続ける側は、
常に弱者になる可能性を抱える。

相手が満足する限りは関係が続き、
満足されなくなった瞬間に、信頼は消える。

つまり、信頼を人質に取られた状態になりやすい。

 

信頼が
「成果への対価」
「役に立つことの報酬」
として扱われるとき、差し出し続ける側は、常に弱者になる可能性を抱える。

 

休めない。
立ち止まれない。
壊れても言えない。

 

だって、「役に立たなくなったら終わり」だと
どこかで分かってしまっているから。

  信頼を得たいのに、報われない現実

頑張っても評価されない。
続けても報われない。
約束を守っても切り捨てられる。

そんな経験を重ねると、人は人を信じること自体が怖くなる。

 

「人は理解されない苦しみに耐えられない」
ハンナ・アーレント

 

信頼が欲しいのに、信頼を得るための条件だけが増えていく。

その苦しさが、人をすり減らしていく。

 

信頼は欲しいのに、
信頼を得るための条件だけが増え続ける。

 

だからこそ、人は人間関係に疲れていく。

ストレスの原因が、

  • お金

  • 未来

この三つに集約されていくのは、偶然じゃない。

どれも、「欲しいのに、思うように手に入らないもの」だからだ。

 

  居場所がない、という感覚

そして最終的に行き着くのが、「居場所がない」という感覚。

 

それは、

  • 誰にも必要とされていない気がする

  • 役に立てなければ消える存在だと感じる

  • ここに居ていい理由が見つからない

そんな実感として現れる。

 

居場所がないのは、甘えているからでも、努力が足りないからでもない。

信頼が常に条件付きで取引される世界にいる限り、誰もが抱えうる感覚だ。

 

信頼を積み上げることは、確かに大切だ。
でもその信頼が、成果や対価としてしか扱われない時、人は簡単にすり減っていく。

居場所を失う感覚は、個人の弱さじゃない。

それは、「差し出し続けなければ立っていられない構造」の中で
生きていることの、自然な帰結なのかもしれない。

 

そう考えると、居場所がないと感じること自体が・・・
ただ、消耗する構造の中に立たされているっていう事実なんだろう。