若い頃ってさ、
寝なくても動けたし、無茶しても回復したし、失敗しても笑えた。
今はどうだろう・・・?
勝手に寝る。
気が付いたら寝る。
手首が痛い。肩は常に在宅。
どれだけ運動しても体重だけ正直。
――そう、これが老化。
でもね、世界のキラキラは変わらないの。
音楽も、映画も、景色も、夢も。
興味も関心も、実は若い頃と大して変わってない。
ただ一つだけ、決定的に違うものがある。
「体が、ついてこない」
憧れはある。
やりたい気持ちもある。
でも、踏み出す前に脳が言う。
「出来る?」
「無理じゃない?」
「大変じゃない?」
「それ、やり直せる?」
……いや、やり直せないんですよ。
時間と体力が有限だと、知ってしまったから。
これが、大人になるってことなのかもしれない。
若さは才能、老化は仕様。それでも私は遊び心を諦めない
若さって、才能だったんだなって、最近つくづく思う。
無謀も、無茶も、後先考えない選択も、
全部「若さ」の一言で許されてた。
体力があって、回復力があって、
寝なくても動けて、無理がきいて、
怪我も病気も「まぁ何とかなる」で済んでいた。
若い頃は、無謀も無茶も“習慣”にできた。
体力も、回復力も、無視する力もあったから。
それが今はどうだろう。
勝手に寝る。
気づいたら寝てる。
足腰はギシギシ、手首はズキズキ。
肩こりはもはや常連。
どれだけ運動しても、なぜか痩せない。
……ああ、これが老化ってやつか。(T_T)/~~~
興味も関心も昔と変わらない。
見上げるものも、憧れも、理想も同じまま。
なのに――
身体だけが、ついてこない。
このズレが、地味にいちばんキツい。
老いを盾にした瞬間、もう負けだと思った
人は大人になると、
自然と「リスク」を先に数えるようになる。
出来るかどうか。
失敗したらどうするか。
やり直しが効くのか。
今さら遅くないか。
若い頃はそんなこと考えなかった。
考えなくても、時間も体力も勝手に背中を押してくれた。
でも今は違う。
やり直すには時間も体力も足りない。
ゼロからのスタートに踏み出すほど、もう無茶も出来ない。
だから怖い。
人を許せる余裕が増えた代わりに、
自分を許す時間が減っていく。
それが、悲しいというより――
ちょっと、寂しい。
「良いことをすると気持ちがいい」って、
あれ、本当に“善意”だけなんだろうか?
ドーパミンが出てるだけじゃない?
承認欲求が満たされてるだけじゃない?
誰かに褒められて、
「すごいね」「ありがとう」って言われて、
その評価と承認で満たされてるだけじゃない?
それでもいい。
それでも、ちゃんとウィンウィンだ。
でも――その匙加減、気づくと「余計なお世話」に傾いていないか?
「それは危ない」
「やめたほうがいい」
「無理しなくていい」
安心の顔をしたブレーキばかり、自然と踏むようになってしまう。
これが、老化の正体なのかもしれない。
ニーチェはこう言った。
「かつて人間は、踊る星を生むために混沌を抱いていた」
若い頃は、確かに混沌だった。
何も整っていなくて、めちゃくちゃで、無謀で、
だけど、やたらとエネルギーだけはあった。
今はどうだ。
安全、安定、無難、効率、リスク管理。
踊る星どころか、表情筋すら固まっている。
「まだこれからです」は、大人の反抗期
それでも私は思う。
若さを諦めたくない。
「やらない理由」を正当化するのが、一番イヤなんだと思う。
もう戻れないことは分かっている。
体力も、回復力も、勢いも、時間も、全部違う。
それでも――
「諦める側」にだけは立ちたくない。
若さは年齢じゃない。
無謀さでもない。
体力でもない。
たぶん、
まだ惹かれるかどうか。
まだ心が動くかどうか。
まだ「見たい」と思えるかどうか。
そこに残っているものなんだと思う。
身体は置いていかれても、心まで老ける必要はない。
私はまだ、ついてこない身体を引きずりながらでも、少し先を、ちゃんと見ていたい。
若さは才能だった。
でも――
諦めないのは、意志だ。
私は諦めないよ?若くあろうとするよ?まだまだこれからですよ?
若くありたいんじゃなく、若さと老化を言い訳にしたくないからね!




