昨日の俺と今日の俺は別人だ!昨日の約束など知らん!
って、言いたい・・・・・
昨日の私と、今日の私は、たぶん別人だ。
昨日の約束なんて、正直知らない顔をしたくなる日もある。
若さなら、笑い話で済む。
でも大人になると、それは“信用を捨てる行為”になる。
それでも私は、
自分自身を一番信用できないまま、今日も生きている。
「私は、私が一番信用できない」
私は、心変わりする。
欲望にも負けるし、感情にも流される。
お酒に逃げたくなる日もあるし、架空の物語に夢を見てしまう夜もある。
昨日の私を、今日の私は否定したくなる。
でも、あれも私で、これも私なのだ。
だから私は、私を信用できない。
私は変わる。
私は揺れる。
私は裏切る可能性を持っている。
だから、私を神格化するな。
同一の私なんて、どこにも見つからない。
「それでも他人は、信じたい」
逆に、他人のことはどうだろう。
信じたい気持ちは、確かにある。
信じる努力をしたいとも思っている。
「バカをみた自分より、先に約束を守った自分を誇りに思え」
by武田好誠
この言葉が、今でも胸に刺さっている。
だから私は、
他人を疑うより前に、好意的に解釈して繋がりたいと思ってしまう。
何も信じたくないくせに、何かを信じたいとも思っている。
約束なんて、苦しくなるだけだし、ストレスが増えるだけなのは分かってる。
でも、それでも、私はいつまでたっても・・・
この言葉が忘れられない。
「無償の関係が、いちばん怖い」
正直に言うと、人と人の繋がりの中にも
金銭のやり取りがあった方が、私は安心してしまう。
無償の関係の方が、何より怖い。
金銭のやりとりに安心する自分が一番怖いけど・・・
お金が発生すれば、
そこには責任も契約も、逃げ場もはっきり見える。
けれど、想いだけの関係は、
いつでも逃げられて、いつでも裏切れる。
気づけば私は、
感情や想いより、貨幣の方が信じられてしまう側の人間になっていた。
感情は裏切る。
気分は裏切る。
善意も裏切る。
でもお金は、
・契約書があり
・法があり
・強制力がある
だから「信じる」というより「従わせられる」。
なにこれ・・・怖いな・・・
「自分には、自分に費用を払えない」
他人にはお金を払える。
でも、自分にはお金を払えない。
自分に発生するのは、
時間と労力の消費だけ。
費用が発生しないものは、
この世界では“価値が見えにくい”。
それなら――
自分を信じられなくて当然なのかもしれない。
私は、私の期待に応えていない。
期待した通りの人生を生きられていない私は、
私自身から信用を失っている。
「できることしか、できないと知っている」
それでも私は、
できることしかできないと、理解している。
分からないことは、分からないままだ。
持てる分だけを、持てる分だけで抱えている。
正解を背負いたいんじゃない
失敗の後悔を背負いたくない
だからこそ、奇跡みたいな自己信頼は、最初から持たない。
それは諦めというより、現実と折り合うということ。
自分で自分の信用を、最初に叩き壊す呪文
『昨日の俺と今日の俺は別人だ!昨日の約束など知らん!』
言いたいけど、言えないことを知っている。
これが現実だと割り切って折り合いをつけるための、落としどころを探してる。
「後悔が、私を少しずつ変えているなら」
それでも思う。
もし後悔が、
私を少しでも変えてきたのだとしたら。
今までの選択にも、意味があったと言えるんじゃないか。
私は、新しい私が、
今の私より少し素敵であることを願って、
後悔から、違う選択と行為をしているつもりだ。
でもそれも“今の私”で、
明日の私は、また違っているかもしれない。
結局、何も変わらない私も、ここに居る。
それでも私は、今日の選択だけを、引き受けている。
シンプルフレーズ
私は他人を信じたい。
でも信じきれない。
私は貨幣の方が信用できる。
でもそれが空しいのも知っている。
私は自分を信じられない。
でも後悔が私を動かしているのも事実だ。
変わりたい私は居る。
変わらない私は、もっと居座る。
そして結局――
私は私を信用できないまま、
それでも今日の選択だけを引き受けて生きている。




