人は、何度でも折れていい。
何度でもやり直していい。
折れるたびに、形を変えながら、
少しずつ「自分に合う今」を見つけていけばいい。

 

きっとそれが、
生きるってことなんだと思う。

心が折れる時、私は「考える葦」になる。

心が折れる時って、あるよね。
続けていたことをやめたくなる時。
もう無理かもしれないって、ため息が出る時。
頑張ってきたのに、何も見えなくなる瞬間。

あの感じ。
満足した?
十分やったと思えた?
それとも、新しいことが気になった?
可能性が無くなったように見えた?
方向を変えたくなった?
飽きちゃった?

 

たぶん、どれも正解なんだろう。
どれかひとつじゃなく、いくつもの理由が少しずつ重なって、
「その時」が来たんだと思う。


それは、必要なタイミング。
終わりじゃなく、“心の更新”の合図。

同じことを続けるのは立派だ。
でも、人は“慣れ”の中で少しずつ鈍くなる。
感情も、感動も、熱も、
繰り返しの中で薄まっていく。

 

そして、いつしか
「楽しい」よりも「続けなきゃ」が勝ってしまう。
そんな時、心が小さく折れる。
まるで、細い葦のように。

 

パスカルは言った。

人間は一本の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱い存在だ。だが、それは“考える葦”である。

 

風が吹けば簡単に折れる。
でも、折れても考える。
壊れても問い続ける。
それが“人間らしさ”なんだ。

 

心が折れた時、
それは“折れた”のではなく、
「思考という柔軟さ」を取り戻している瞬間かもしれない。

続けることも勇気。
でも、やめることも勇気。
世界は「続ける」を美徳にしすぎた。

 

けれど、“止まる”とか“離れる”という行為の中にも、
ちゃんと誠実さはある。

「やめる」は「逃げ」じゃない。
「変わりたい」という心のリセット。
心の形を変える瞬間に、
人はまた“考える葦”に戻る。

TPOという言葉がある。
時間・場所・状況に合わせる、という意味だけど、
もしかしたらそれは、
「自分自身のTPO」を選び取ることでもある。

今の自分に合う環境、
今の自分が呼吸できる場所、
今の自分が必要としている時間。

 

それを見失った時、
どんなに頑張っても、
心は風に折られてしまう。

だから私は、こう思う。

心が折れた時、
それは「壊れた」のではなく、
「柔らかさを取り戻した」のだと。

風に揺れ、折れながらも、
なお考える。
なお生きようとする。


それが、考える葦としての“人間の強さ”なんだ。

 

 シンプルフレーズ

 

心が折れるのは、壊れることじゃない。
「考える葦」に戻ることだ。

弱さの中に、強さがある。
無力さの中に、希望がある。
そして、折れるたびに、
私たちは少しずつ“考える人間”に戻っていく。

そうやって、また明日、
風の中を生きていけばいい。