私たちは、寂しさと飢えから逃れられない・・・
どれだけ考えを磨いても、理性を武装しても、心を整えようとしても——結局、腹は減るし、孤独は消えない。
寂しさは、人と触れ合いたいという渇望。
飢えは、生きるために「食べたい」と叫ぶ体の本能。
この二つは、どれだけ社会が進歩しても、
どれだけテクノロジーが発達しても、私たちから切り離すことはできない。
食べなければ死ぬ。
触れ合わなければ心が壊れる。
当たり前すぎるほど当たり前のことなのに、現代の社会はそれすら「お金」で測り、「条件」で縛る。
だからこそ、寂しさと飢えの現実は、誰にとっても無視できないテーマなのです。
そして、その現実を正しく見つめる力こそ、私たちが哲学を必要とする理由なのだと思います。
哲学が必要な理由 ・世界を正確に見つめるために
努力や頑張りが報われない時代に
どれだけ努力しても、報われない。
頑張っても、正当に評価されない。
始めたいけれど勇気も出ないし、動く力も残っていない。
そんな現実に、私たちは生きています。
「頑張ればなんとかなる」なんて言葉は、もはや慰めにもならない。
むしろ、努力や我慢という言葉に押し潰されて、
呼吸ができなくなる人の方が多いのかもしれない・・・
それでも見てくれている人が居るって信じて頑張ることがある。
褒められなくても、認めてくれなくても、
誰かに・・・「ありがとう」って言って欲しいから。
では、私たちに必要なのは何か
必要なのは「現実を正確に見る力」ではないか?
状況を正しく理解し、自分がどんな環境に置かれているのかを見抜くこと。
それは夢や希望を失えという意味ではありません。
むしろ、幻想に逃げず、世界をそのままの形で見つめるためにこそ、哲学が必要なんじゃないかな?
哲学は特別な学問ではなく、「自分の状況を整理して、次の一歩を模索するための道具」。
正確に見ることでしか、正確な可能性を探すことはできないのです。
忖度や奥ゆかしさでは生きられない
日本社会の中では、忖度や奥ゆかしさといった「美徳」が大切にされてきた。
けれど、それだけではもう生き残れません。
他人の言葉に従うだけ、周囲の空気に流されるだけでは、状況は変わらない。
むしろ「いい人」を演じ続けることで、自分を食い尽くしてしまう。
だからこそ、今必要なのは——
-
状況を正しく感じ取る理性
-
他者や社会と交渉する力
この二つを持たなければ、私たちは時代に飲み込まれるだなんだ・・・
状況に流され・・・
現実に押しつぶされ・・・
選びたくないのに、それしかない。
私達は、何一つ自由に出来ることなんて残ってない。
と、思い込んでしまっている。
哲学と交渉力が生き抜く武器になる
哲学とは、救いではなく、現実を正確に見つめるための拡大鏡。
感情や欲望に支配されやすい私たちの理性を鍛え、時代の構造を冷静に見抜く。
そこから初めて、「私の状況」に合った生き方を選び取ることができます。
そしてもう一つ、重要なのが交渉力。
公共性や他者性を意識して、自分の言葉で関係を再構築していく力。
「私はこう考える」「あなたはどう思う?」と、対話によって関係を繋ぎ直すこと。
努力や我慢の時代を超えて、
哲学と交渉力こそが、生き残るための武器になるのではないか?


