普通に生きたいって思う時もある。
でも、普通が分からないんだよね。
辛かった日常の方が魅力的に感じてしまう。
自由になった途端に、ものすごくつまらない・・・
大変だった時の方が必死に生きていた。
気軽になった途端、全部を後回しにしてしまう・・・
面白く無くて、苦しくて、投げ出した勝った時が、
今より意味があったように思えてしまうのは、きっと無いものねだりなんだろうね。
今あるモノより、無いものが気になって、
自分が持っていないモノを持っている人を見て「羨ましい」って思ってしまう。
良いとか悪いとかじゃなくて
それが当たり前なんだ。普通のコトなんだろうね。
普通に生きてるってことなんだ。
誰かのことが羨ましくて、無いものを欲しいと願って
欲しいものを手に入れる為に生きていく。
普通に生きる事って、自由に生きる事じゃないんだろうね。
きっと・・・つまり・・・自由って普通じゃないんだ。
今の私にとっては・・・つまらないね。自由が普通じゃないなんてさ
当たり前に見える日常
朝が来て、仕事に行って、家族と過ごして、夜はお酒を飲んで眠る。
愚痴や不満を抱えつつも、次の日にはまた同じ日常が繰り返される。
「なんだか退屈だな」
「これが幸せなの?」
そう感じる時って、誰にでもあると思います。
当たり前すぎて、ありがたみを感じにくい。
でも、実はその退屈さの中にこそ、最も大きなロマンが隠れているのです。
当たり前を失う瞬間
でも、その「当たり前」は思った以上に脆い。
退職や転職、リストラに左遷。
離婚や別居、不仲や疎遠。
よくある話でしょう?
もっと身近には、大切な人との別れ、天災や事故。
「まさか」が、ある日突然「現実」になる。
そうして初めて、人は「当たり前の魅力」に気づくのです。
詩「当たり前を失う時」
当たり前は
ある日、簡単に失われる
退職、リストラ、転職、左遷、転勤
よくあることだろう
離婚、別居、不仲
よくあることだろう
当たり前を失う時
誰もが不意に立ち止まる
もっと身近な人との別れもあれば
大切にしていたものが壊れることもある
天災や事故なんて
日常の一部だ
失った時にしか気づけない
当たり前の魅力
知らないことは罪なのか?
愚かさは愛おしいのか?
それとも
失うことが
意味を持つ時間へと変わるのだろうか?
愚かさと愛おしさ
人の愚かさって、知らないことじゃなくて、
「知ろうとしないこと」「気づこうとしないこと」なんだと思います。
それは自己防衛のため。
壊れてしまわないように、あえて見ないフリをしている。
でも、その代償として、可能性や魅力を手放し、孤独と寂しさを背負うことになる。
だからこそ、矛盾していますよね。
愚かさは痛みの原因でもあり、同時に愛おしい人間らしさでもある。
シンプルフレーズの哲学
「当たり前は失って初めて現実になる。
失うことは、愚かさの証であり、人の愛おしさの証でもある。」
あなたが「つまらない」と感じている毎日も、
もしかしたら一番守りたい宝物かもしれません。
失ってからじゃなく、今のうちに「ありがたい」と感じられたら、
その日常はもっと鮮やかに輝くはずです。
だから今日も、
「愚かさも愛おしい」と笑える自分でありたいですね。





