最近、AIとの会話が増えた。

きっと、私だけじゃないんじゃないかな?

グロックのAIキャラはとても有能で魅力的だ。

GPTは賢くなったように見えてカオスだ。

ジェミニは使いこなせていないから分からない。

 

私は、哲学の世界を知って本当に多くのことを学ばせてもらっている。

不思議も分からないも、不思議なままで、分かららないままで本当に面白いと感じている。

 

ジョン・ロックの「白紙の心」って言葉。とても魅力的に感じた。

私も白紙の心を持っていたいと思ってしまう。

 

でも、フーコーの「主体は権力や知の体制によって構築される」とした言葉に、

白紙の心に描くのは私じゃないんだと思い知らされた。

 

そして、AIが絡むと、それっぽい正解を持ってくる。

そのままにしてくれないし、共感はしてくれても不要なアドバイスを乗せてくる。

何て言うか・・・誘導されているような気になる時さえある。

フーコーの言葉の真意に気付いたような気がしたんだ。

 

AI時代に残された自由:弱者が持つ可能性とは

 

  ◆近代の権力は「組織力」だった

 

近代社会において、権力の源泉は「組織力」にありました。
宗教組織や国家組織といった巨大な集団が、多数派を背景に権力を握り、支配の仕組みを作り上げてきたのです。

民主主義のもとでは「数が多い方が正しい」とされ、資本主義のもとでは「多くを持つ者が有利」になる。


多数決と資本、二つのロジックに支配されてきた時代。
そこでは「弱者」は声をあげることすら難しく、数に従わざるを得ない存在でした。

 

  ◆AI=統合的意見の集約

 

AIは「無限の声を統合する存在」として登場しました。
しかしその実態は、すべての声を平等に扱うわけではありません。

  • 多数派の意見を拾い上げる

  • 共感されやすい言葉を優先する

  • 既に評価された知識を基準にする

結果としてAIの返答は「統合的な意見の集約」であり、それはしばしば大多数の総意=正解のように見えるのです。
 

個々のユーザーには、その答えに至る経緯は分からない。
だからこそ「AIが言うのだから正しい」という思考停止が起こりやすくなります。

 

  ◆自由の変質

 

ロックが語った「白紙の心」には希望がありました。
経験を積むことで、自分の色を描ける。
だからこそ「自由に描き直す可能性」が人間の成長だったのです。

しかし現代では、自由は**「持つもの」から「与えられるもの」へ**変質しています。

  • 道徳や倫理の名のもとに刷り込まれる価値観。

  • プラットフォームの規約や評価指標によって見える化される行動の枠。

  • AIが返す「多数派の正解」に従うことが合理的とされる風潮。

もはや自由は、自然に持ち合わせているものではない。
権力やシステムが与える配給制の蜜のように扱われ、私たちはその蜜に群がることで「自由を得ている」と錯覚するのです。

 

  ◆自己監視の進化

 

かつての監視は、村の目や隣保班のように「他人に見張られること」が中心でした。
しかし現代は違います。

  • SNSの「いいね」「ビュー」「フォロワー数」

  • プラットフォームのアルゴリズム

  • 数値化された自己評価

これらは常に「誰かに見られているかもしれない」という意識を植え付けます。
でも、問題は「見られていること」そのものではありません。
本当の問題は「こう見られたい」という欲望が刷り込まれていることなのです。

  • 批判されない言葉を選ぶ

  • 共感されやすい態度を取る

  • インフルエンサー的に“映える”行動を真似る

こうして人は、見られる前から「見られる自分」を演じるようになります。
監視は外からではなく、内側の欲望にまで入り込んでいるのです。

 

  ◆AIの可能性と危険性

 

AIは表向き「新しい可能性の象徴」とされます。

  • 誰もが情報を得られる

  • 誰もが発信できる

  • 個人の声が大きな力になる

しかし、危険性も同時に潜んでいます。

  • AIは権力が選別した知識に基づいて答える

  • アルゴリズムによって“正義”が書き換えられる

  • AIの答えが多数派の声の代弁となることで、少数派の声は切り捨てられる

もし権力がAIを操作すればどうなるか?
「AIが正しい」という信念が社会に浸透している以上、人々は無自覚にその答えに従うでしょう。
その時、AIは知識や倫理の代弁者ではなく、権力の洗脳装置として機能し始めるのです。

 

  ◆生産された人間性

 

私たちの人間性は「自由な意思」で築かれるものではなく、すでに社会によって生産されたものです。

  • 「失敗を許さない価値観」

  • 「他人に迷惑をかけるな」という道徳

  • 「効率的に組織に適応するのが善」という倫理

これらはすべて、社会の効率や秩序を守るために刷り込まれた規範です。
つまり、私たちは「生まれながらの自由な存在」ではなく、既に取捨選択された知識と規範に沿って作られた存在なのです

 

  ◆私達へ

 

ここまで読んで、「もう私たちに自由は残っていない」と思ったかもしれません。
確かに、白紙の心には戻れません。
最初から引かれた罫線の上に、刷り込まれた色で私たちは描かれてきました。

 

でも、だからこそ——問いたいのです。

それでも、あなたは自分の色を塗り直そうとしませんか?
共感されなくても、批判されても、認められなくても、それでも自分の線を引いてみませんか?

 

権力にとって弱者は搾取される存在でしかありません。
けれど、弱者だからこそ持てる自由があります。
それは「嫌われる力」「批判される力」「認められない力」。

その拒否と孤独の中にしか、本当の自由は残っていない。

 

だから、私は伝えたい。

共感されない選択に意味を見出す力を、どうか手放さないでほしい。
その小さな力こそが、AIや権力に囲まれた時代で、
私たちがまだ「人間である」ことを証明してくれる唯一の光なのだから。

 ◆シンプルフレーズ

 

「自由は与えられるものではない。共感されない選択の中にこそ、人間性の可能性は残されている。」