📘『吾輩は猫である』を3行で解説!

「名前で呼ばれること」に飢えているのか?

誰かに認めてもらう?見つけて貰うことを求めてる?

名前のない吾輩でも、呼ばれなくてもここに居ると言うのにな。

~キャスト~  
吾輩   名前のない猫。冷静で毒舌、人間観察が趣味。意外と哲学的。
苦沙弥先生   主人。意識高い系の中学教師。理屈っぽいが、奥様には弱い。
奥様   家庭を支える現実派。感情が味噌汁の塩分に反映されがち。
迷亭    先生の友人。口達者で詭弁家、喋り出すと止まらない。
寒月   もう一人の友人。理屈っぽく冷静沈着だが、恋愛になると不器用。

 

🐾ラノベ風再構成:第6話

 

  第6話:それでも人間は語りたがる

 

休日の昼下がり。
書斎には、3人の男がいた。

 

苦沙弥先生(中学教師、理屈屋)
迷亭(詭弁家、無限会話マシン)
寒月(理系、沈黙の哲学者)

 

そして——

吾輩(猫、名なし、観察者)

 

正直言って、密室で人間3人が語り合う姿は、妙な熱量がある。
しかも彼ら、“話す内容”ではなく、“話すこと自体”に意義を感じている節がある。

たとえば、こんな会話が飛び出した。

 

「真理というのはですね、語られた時点で真理じゃなくなるんですよ」
と、迷亭が口火を切る。

「つまり、真理とは観測されると崩れる量子的実体であると?」
と、寒月が即応。

「いや、真理は崩れません。ただ“伝えた瞬間に誤解される”のが常でして」
と、先生が苦笑い。

 

「じゃあ、なぜ語る?」
「それは……寂しいからじゃないですか?」
「寂しいから真理を語る……面白い。つまり真理とは、孤独の埋め合わせと?」

 

……吾輩、猫であるが、もう追いつけない。

一言でいうと——

みんな、ただの“語りたがり”である。

内容の有無?
重要ではない。


会話とは、中身ではなく、“知的に喋ってる雰囲気”を楽しむゲームなのだ。

しかもこの3人、話題のジャンルが謎に広い。

  • 哲学:真理とは何か

  • 生物:なぜナメクジは嫌われるのか

  • 社会:郵便局員はなぜ傘を差さないのか

  • 心理:人はなぜ無意味な話を止められないのか

途中で迷亭が言った。

「人間というのは、“無意味な会話”によってこそ自己を確認してるのでは?」

それを聞いた吾輩、ふと納得してしまった。

 

たしかに——
名前を持ち、言葉を持ち、社会を作った人間が、
最も頻繁に使う言葉は、「え?なんて?」だったりする。

 

言葉は“伝える”ための道具であるはずなのに、
人間たちは、伝わらない前提で喋り続けている。

「だからこそ、会話は続くのかもしれませんね」
と、寒月が微笑んだ。

 

会話とは、理解ではなく試行なのかもしれない。
理解しあうためではなく、「理解したいと願う」ためのもの。

……と、しれっとまとめそうになってる自分に、吾輩は驚いた。
やばい、ちょっとだけ影響されてきている。

この家の空気は、理屈と滑稽が同居している。


そして今日も、人間たちは真面目な顔で、“意味があるようで意味のないこと”を語り続けている。

猫としては、非常に退屈で——
だけどちょっと羨ましい空間だった。

  次回予告:「奥様VS世間体」
——家庭内の“正しさ”と“世間の目”が静かにぶつかる。猫はそれを、ちゃぶ台の下から見ている!