存在するだけで、価値はある。
「なんで私、今ここに居るんだろう」
ふと、そう思ったことありませんか?
頑張っているわけでもない
何かに貢献しているわけでもない
誰かの役に立ってるわけでもない
ただ、今日も、ここにいるだけ。
でも、そんな自分を「意味がない」と思ってしまうのは、
私たちがいつの間にか、“意味”や“価値”を「証明しなきゃいけないもの」として見てしまっているからです。
「生きているだけでは、足りない」と思わされる社会
かつては、「生きている」だけで良かった。
それが、時代とともに変わっていきました。
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古代は「生きていること」が大切だった
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近代になると、「生きるとは何か?」と問い始めた
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そして現代、「それでも、生きていていいのか?」と不安になる時代になった
たとえるなら、
昔は“息してるだけで存在価値アリ”だったのに、
今は「息の仕方」まで評価されてしまうような世界です。
社会は「動ける人」にだけ、意味を与えてくれる
現代の社会では、
「行動している人」だけが“価値がある人”とみなされやすい。
たとえば:
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資格を取った
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成果を出した
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SNSで発信した
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誰かを支えた
こういう“見える行動”は、価値を証明してくれます。
でも、動けない人、行動する力が残っていない人はどうでしょう?
「意味を証明したいのは、動けない人」なのに
本当は、
“生きていていいって証明したい”のは、
動けない自分を感じている時の私たちです。
でも、行動できないと、意味が証明できない。
それが今の社会の構造なんです。
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元気な時は証明できる
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疲れた時は、何もできない
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でも、疲れている時こそ「生きていていい理由」が欲しくなる
たとえるなら、
「お腹が空いてる人に、作った料理の写真だけ見せて“頑張れば食べられるよ”」って言ってるような構造です。
酷ですよね。
意味を“与える人”と“待つしかない人”
社会には「意味を創造できる人」と「意味を与えられるのを待つ人」が共存しています。
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意味を創造できる人は、行動できる人
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意味を与えられるしかない人は、行動が難しい人
この2つは、上とか下ではなく、役割の違いにすぎません。
「太陽」と「月」のようなものです。
太陽は自ら光るけど、月は光を受けて輝く。
どちらも美しくて、大切な存在です。
シンプルフレーズの哲学:存在するだけで価値がある
アインシュタインは言いました。
E=mc²
つまり、“存在しているもの”には、それだけでエネルギー(=価値)がある。
今日、何もしていなくても、
誰かの役に立っていなくても、
自分が自分であることを証明できなくても、
あなたはちゃんと、エネルギーを放っています。
誰かに認められなくても、
意味が見つからなくても、
それでも、“在る”ことに価値がある。
だから、「意味が分からない自分」を責めないで
意味を持てないことが、欠陥なんじゃない。
意味を“持たされる”ことに疲れてしまっただけ。
壊れたんじゃない。
ただ、別の世界を歩いているだけ。
「動ける人の世界」と「動けない人の世界」
「意味を作る人の世界」と「意味を待つ人の世界」
世界は、重なって見えても、別々に流れている。
あなたの世界には、あなたの時間と価値がある。
最後に、シンプルフレーズを
「生きていていい理由」は、自分で証明しなくていい。
“今ここにいる”ということが、すでに世界を少しだけ変えてるから。


