「個性って、味方になるものなの?」って。

よく言われる。「あなたの個性を活かせば、きっと輝けるよ」って。
でも、現実はそんなキラキラしてない。
むしろ、私の個性は私を不自由にする鎖みたいなもので――
それが、ずっと苦しかった。

 

【鎖のまま飛べばいい。――生きづらさを武器に変える「私という構造」の扱い方】

 

「私は、自分の個性を活かしたくて苦しんでいるんじゃない。
個性のせいで生きづらいから、“どうにかやり過ごしたい”だけなんだ。」

 

  ◆ “個性を活かせば輝ける”という言葉の残酷さ

 

世の中はよく言う。「あなたの個性を活かして生きよう」「そのままのあなたでいい」って。
だけど、個性って、そんなに都合よく“味方”になるものじゃない。

 

むしろ、私の個性は、私の自由を奪う鎖のようなものだった。

私には、できることもあれば、できないこともたくさんある。

 

スポーツは苦手。でも、身体を動かすのは好き。

ルールを覚えるのが下手だから競技には向かないけど、
運動神経が悪いわけじゃない。

 

人と話すのは好き。

でも、決まったトークスクリプトに縛られたら、途端に話せなくなる。 

接客も営業もできるけど、「会社のやり方」に従うと、成果が出ない。

 

知的好奇心は強い。

でも、勉強は苦手。

深く掘り下げるのは好きだけど、要領よく学ぶのは向いていない。

 

これ、ただのワガママじゃない。
ただ、自分の性分と生き方が、ちょっとだけ“ずれて”いるだけ。

 

こうして書き出してみると、「なんだ、個性じゃん」と言われそうだけど、
その個性は私の人生を楽にしてくれるどころか、むしろ生きにくくさせている。

 

  ◆ やめられない性分、それこそが私の「構造」

 

私は、誰に強制されたわけでもない「自分ルール」は守れる。


でも、他人からルールを押し付けられた瞬間、全部が崩れる。

しかも、それを誰かに指摘された瞬間、もう一歩も動けなくなる。
一気に自己否定が始まる。「やっぱり私はダメだ」と。

 

自由にやらせてもらえたら、実力は発揮できる。
営業も、事務も、作業も、全部そうだった。
でも「みんなと同じやり方で」って言われると、何もできなくなる。

 

「私の個性は、“活かすべき宝物”なんかじゃない。
私の生き方にとっての“構造的な制限”なんだ。」

 

  ◆ ならば、どう生きる?──自分を殺さず、生きやすくなるには

 

個性を活かせば輝ける?
個性を受け入れて前向きに?
……そんな簡単にできたら苦労しない。

だって、個性を活かすには、「自分で活かせる環境」が必要になる。

 

環境を変えたら、きっと良くなるのか?
転職すればいい?
引っ越せば?

 

……そうかもしれない。

ただ、時間と労力がかかる。すごく現実的じゃない。

人間関係も生活費も家族も、簡単にリセットできるほど柔らかくない。


だから私は、“変わる”じゃなくて、“設計し直す”という選択をした。

 

  ◆ 「鎖のまま飛ぶ」という考え方

 

鎖を切れないなら、持ったまま飛べばいい。

 

私には、共感力があまりない。
相手の話を聞いても、うまくリアクションができない。
だから、話題提供側に回ることにした。

 

聞くことが苦手なら、話す側・主導権を持つ側にいればいい。
会話を“自分の流れ”にしてしまえば、相手の感情の機微を読みすぎなくて済む。

長時間の雑談は無理だから、「予定がある」「仕事に戻らないと」と
時間を区切って距離を保つテクニックを使うようにした。

 

これって、「個性を変えた」んじゃない。
“構造的に無理な部分”を見せずに、生きやすくした戦術なんです。

 


「私は、鎖を隠す方法を手に入れただけだ。」

 

  ◆ 欲しい個性は、拾えばいい。演じていい。真似からでいい。

 

上手く生きてるように見える人が、
最初からそうだったわけじゃないこと、私は知ってる。

 

自分の理想とする姿を、最初から持っていた人なんていない。

 

「才能とは、習慣を手放さなかった結果だ。」(トルストイ)


あの人たちだって、積み上げて、繰り返して、ようやく「見える形」にしているだけ。

だから私はこう決めた。

「自分にないものは、拾っていい。」

 

憧れは、きっと「表面の完成形」を見ているだけ。
その裏には、積み重ねた意図と工夫と失敗がある。

だったら私たちも、「身に付けたい個性」は演技から始めればいい
真似からでいい。最初は不自然でもいい。
だってそれは、「私が生きやすくなるための選択」なんだから。

 

会話のテンプレートを持つ。
共感できなくても「相手を否定しない言い方」を覚える。
雑談が続かなくても「自分の得意なテーマ」に持ち込む。

個性が“強み”じゃなくてもいい。
使えないなら、“使える武器”を別に持てばいい。

 

  ◆ 鎖ごと飛ぶ人生を、私は選んでいい。

 

自分に合う場所が見つからないなら、
合わない部分を隠す術を身につける。

そのかわりに、自分が持ちたい魅力を少しずつ身に付けていく。
そのプロセスの中に、
「私という人間を、私が使いこなす」っていう人生の面白さがあるんじゃないかと思う。

 

私の個性は、私を縛る。
でもそれは、切るべき鎖じゃない。

「個性は私を縛るけど、方法を知ればそのまま飛べる。」
「飛び方を変えるための重り」なんだと思うようになった。

 

重さを知ってるからこそ、軽さがわかる。
不自由さを感じたからこそ、自分の自由をつかめる。

 

それは、他の誰でもない「自分が決める飛び方」。

完璧じゃなくていい。
誰かに理解されなくていい。
でも私は、私のままで、もう一度自分を使ってみたいと思った。

 

「自分のままで進めないなら、自分のまま進める方法を作ればいい。」

 

私たちはもっと、創っていい。
もっと、自分を使っていい。
誰かのためじゃなく、自分のために、
自分の「構造」を設計し直していい。

 ◆ シンプルフレーズ

「鎖ごと飛べば、それで良い。」