「なんのために頑張ってるんだろう」
そう思った日のことは、よく覚えてる。
あれもやって、これもやって、家のことも仕事も、ひと通りちゃんとこなして。
家族のため、仕事のため、誰かの期待に応えようとするため。
「ちゃんとした人間でいよう」と、今日もがんばった。
……なのに、帰ってきたのは“評価”でも“感謝”でもなくて、ただの“無言”だった。
「頑張ったのに、報われなかった」──その気持ちと、そこからの問い。
「誰でもやってるでしょ」の一言が、こんなに刺さるなんて。
朝から用意した弁当も、さっと片付けた洗濯物も、
提出期限ギリギリで仕上げた書類も、
誰かにとっては「当たり前」かもしれないけど、
私にとっては“積み重ね”だった。
ちょっとした期待を込めて、「これで少しは報われるかな」と思ってた。
でも現実は、報酬も言葉もなくて。
「え?それだけ?」
「もっとちゃんとできる人いるよね」
そんな空気が漂っただけで、
もう、心が折れそうになった。
報われない努力に、意味ってあるの?
そう思ってしまった瞬間、涙がこぼれた。
ちゃんとやったのに。ちゃんと向き合ったのに。
なんで私はこんなに空っぽなんだろう。
「意味がない」
「私の時間、全部ムダだったのかな」
そんなふうに自分の存在ごと否定したくなった。
でも、そこで立ち止まった。問いを立ててみた。
「私は、なぜあれをやろうと思ったんだろう?」
「誰のためじゃなく、自分のどんな気持ちで選んだんだろう?」
「報われなかったとしても、選んだその行為に“私らしさ”はあった?」
その問いが、少しずつ私を救ってくれた。
【冷静な視点から】努力とは、“投資”ではなく“意志表明”
努力って、よく「報われてナンボ」「結果が出なきゃ意味がない」と言われる。
でも、それってまるで、株式投資やギャンブルのような考え方。
「労力をかけたぶん、リターンがなければ損」という発想になると、
失敗したとき、自分ごと否定しがちなんです。
🍅努力の例え:育たなかったトマトの話
ベランダでトマトの種を蒔いた人がいた。
毎日水をあげて、日当たりも調整して、愛情をこめて世話をした。
でも、芽は出なかった。
…それって、「無駄」だったんでしょうか?
きっとちがう。
「育てたかった」「この時間を大切にしたかった」
その気持ちは、ちゃんとそこにあった。
努力は“収穫”だけじゃなく、**「私がこれをしたいと感じた」**という心の証になる。
【心理の視点から】「結果」ではなく、「納得」が人を救う
努力したのに結果が出ないと、「自分は価値がない」と感じてしまうのは自然なこと。
でも本当に必要なのは、
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認められること?
-
褒められること?
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成果が出ること?
……たしかに、それも嬉しい。
でも、最終的に人を納得させるのは、
「自分が、自分のために選んだ道だったかどうか」
という問いに「うん」と頷けるかどうかなんです。
例:レシピ通りに作ったのに失敗した料理
丁寧に材料を揃えて、きちんとレシピ通りにやったのに、
思っていた味にならなかった。
でも、「あのとき、あの料理を作ろうとしたのは、誰かに喜んでほしかったから」
「温かいものを食べさせたかったから」って思えたら、
それは“失敗”じゃなく、“自分の優しさがあった時間”になる。
納得とは、結果ではなく、気持ちの在処なんです。
【自分を認めるには】「できなかった自分」より、「選んだ自分」に光を当てる
人は結果で自分を測ろうとします。
できたら嬉しいし、できなかったら落ち込む。
でも、人生って“完成品”で評価するものじゃない。
選んだ瞬間、行動した勇気、
誰かのために立ち上がった気持ち、
自分の理想に近づこうとした一歩。
そのすべてが、ちゃんとあなたを形作っている。
🌱今日の結論:問いを持って選んだなら、それはもう「無駄」じゃない。
結果が出なくても、評価されなくても、
「それをやろうと思った気持ち」があったなら、
それはちゃんとあなたの時間。
問いを持つことで、過去の自分を見つめ直すことができる。
そしてその問いこそが、自分を認める入口になる。
勝手に名言
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「報われなかった努力も、あなたの誠実さの証です」
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「意味がなかったと思うその瞬間にも、ちゃんとあなたの想いは生きていた」
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「“問いを持てた人”だけが、自分の人生を選びなおせる」
[いつでもシンプル!笑顔のシンプル!]
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