私はとっても優柔不断

決められないのか、決めきれないのか、それとも気が散り過ぎていて本質を見つめていないのか?

 

迷い、悩みながら、選ぶ?

選べないから、立ち止まって・・・

結局、誰かの言葉に流されて・・・

 

それが悪いわけじゃないんだろう。

だって、誰もが自分で何もかもを決める、チャンスと力を持っているわけじゃないんだから。

 

だから、聞いてしまう。「ねぇ?どうしたらいい?」

 

ねぇ、Siri。私の気持ちって、どこにあると思う?

 

  世界は“教えてくれる”けど、“決めてはくれない”

「ねぇ、シリ。明日の天気は?」
「明日は晴れ。最高気温は27度です。」

「ねぇ、私の人生、どう選べばいいと思う?」

……やっぱり、そこは教えてくれませんでした。

AIはどんどん進化していて、
天気も、献立も、スケジュール管理も、たいていのことは教えてくれます。
Alexaに声をかければ、電気もテレビも操作できるし、
ChatGPTがいれば、企画書の骨子も文章のリライトもできてしまう。

でも。


「どう生きたいか?」だけは、どんなAIも答えてくれない。

それはきっと、
“答えは、自分の中にしかない”ってことなんだろうなと思います。

 

  選べないって、つらい。けど、本当に「選べない」の?

 

選択肢が多い時代。


選ばなければならない場面も多いのに、
私たちはなぜか、「選べない自分」に苦しむことがあります。

 

「どうしたい?」と聞かれても、口をつぐんでしまう。
どれが正解か分からなくて、動けなくなる
選んで間違えるくらいなら、選ばない方がマシって思ってしまう。

 

でもね――
私自身も振り返ってみて、
「選べなかった」のではなく、「選ばなかった」のだと気づいたことがある。

 

  私は「選ばない」という選択をしていた

 

高校卒業のとき、私は進学も就職も、どちらも希望していませんでした。
でも、そんな“希望しない”自分を、周囲は許してくれませんでした。

「進学しないなら就職しかないよ」
「どこか入れるところに入りなさい」
「何もしないなんて、ありえない」

そう言われて、“仕方なく”紹介された就職先を選びました。

 

正直なところ――
うまくはやれていたと思います。私は器用だから。


でも、続きませんでした。
望んでいなかったし、面白いとも、嬉しいとも、感じなかったから。

ただ、日々に不満だけが溜まっていって、
“何か違う”という気持ちを押し込めるしかありませんでした。

せめて、もっと自分で選んでいたら…
「こういう働き方をしたい」
「こういう環境でなら頑張れるかも」
そんな風に気持ちを伝えて、周囲と落としどころを探すことはできたかもしれない。

でも、私は“選ぶこと”を捨てて、“流されること”にした。

 

それが、当時の私の選び方。
後悔はない……とは言えないけど、
だからこそ、今はこう思います。

 

  過去を肯定するために、今を選ぶ

あのときの「流された経験」も、
今の私にとっては、ちゃんと意味のある出来事になっています。

だって、私は今、自分の意思で「選ぶ」ことの価値を知っているから。

 

あのときの後悔を、ただの後悔にするか、
「いい経験だった」と言える過去にするか。
その違いは、“これからの私がどう選ぶか”にかかっている。

私は後者を選びたい。
だから、これからも自分の気持ちに耳を傾けて、
周囲の反対を押し切るためではなく、
「今できる最善」を、自分なりに選んでいく。

 

その積み重ねこそが――
私たちが許された、自由のカタチなのかもしれません。

 

  今日のシンプルフレーズ🌿

 

「選ぶことは、自分を好きになる一歩かもしれない。」
「私はこれを選ぶ」って言えた瞬間、人生は自分のものになる。

 

選ぶって、強がることじゃない。
誰かと戦うことでもない。

ただ、「今、自分がどうしたいか」を静かに見つめて、
その想いに、ひとつ「うん」と言ってあげること。

それだけで――
世界が少しだけ優しく感じる気がするんです。

今まで選ばなかったことがあったとしても、
これから“選び直す”ことだって、できるかもしれません。

 

あなたが選んだその一歩が、あなたをあなたらしい未来に連れていってくれるはず。