「ねぇ、なんでこうなったんだろうね?」
うまくいかない現実にぶつかると、ふと口からこぼれてしまうこのセリフ。
「親がこうだったから」「あの人がああ言ったから」「タイミングが悪かったから」「だってあの時…」
気づけば、理由を探してる。
できれば自分じゃない“何か”のせいにできる理由を。
……うん、わかる。私もそうだった。
責めたいんじゃなくて、納得したいだけ。
でもそれって、「自分の選択じゃなかった」ってことにしたいだけなのかもしれない。
〜損得じゃなくて、気持ちで選ぶ価値〜
「選んだ自分」を否定したくなるとき
人は、失敗したと感じたときに、その選択が間違っていたんじゃないかと思う。
だから、間違えた自分を守るために、選んだ理由を“自分以外”に見つけようとする。
「本当はやりたくなかったけど、流れ的に…」
「自分で決めたけど、◯◯のせいでうまくいかなかった」
うんうん、それも確かに事実かもしれない。
でも――
その場で「選ぶ」って決めたのは、自分。
自分の中に「やるか、やらないか」を決めるスイッチがあって、
どこかで“やる”に手を伸ばした瞬間が、ちゃんとあったはずなんだよね。
選択の理由が「損得」だけだと苦しくなる
私たちはよく、「メリットがあるか」「リスクが低いか」で判断しようとする。
そりゃあ、損はしたくないし、できるだけ安全な方を選びたい。
でも、それだけで選んだものって、
思い通りにいかなかった瞬間、すぐに“間違い”になってしまう。
だからこそ、本当は大事なのは「気持ち」。
どうしてそれをやりたいのか?
なぜ、気になって仕方がなかったのか?
その気持ちを置き去りにして「得か損か」ばかりで選んでると、
自分の選択なのに、自分の人生なのに、どこか他人事になっていく。
現実を受け入れられないのは、「自分が決めた」と認めたくないから
「こんなはずじゃなかった」「もっとちゃんと考えてたら…」
後悔って、簡単にできる。でもね、
選択って、未来を見通すゲームじゃない。
選んだときの“気持ち”に、ちゃんと価値を見出せてたなら、
うまくいかなくても、後悔よりも「意味」が残る。
選んだことが正しかったんじゃなくて、
選んだ“私”が、ちゃんと生きてたことが正しかったんだ。
「気持ちで選ぶ」って、わがままでも感情的でもない
「気持ちで決めるなんて、甘い」って思う人もいるかもしれない。
でも、ここでいう“気持ち”は、感情の波のことじゃない。
「私はどうしたい?」
この問いに真剣に向き合って出てきた答えは、立派な指針になる。
それは、誰かの期待でも、世間の評価でもない、
**“自分が自分に与えた許可”**なんだと思う。
選べないとき、人は「他人のせい」に逃げる
私たちは、選ばなかったことを後悔するよりも、
選んだことの失敗を誰かのせいにして安心しようとする。
でも、それって本当の意味での“自分の人生”になってない。
「誰かのせいでこうなった」じゃなくて、
「私がこう選んだ結果、こうなった」って言えるようになると、
人生はぐっと自分のものになる。
だから今日も、私は“気持ち”を聞いてから選ぶ
たとえば、忙しい朝にちょっとだけ寝坊して、
「今日はダラダラしようかな…」と思ったとき。
メリットはゼロ。でも、心が「ちょっと休みたい」って言ってるなら、
それに素直に従ってみる。自分の選択にする。
逆に、周りが「無理しないで」と言っても、
心が「今は動きたい!」って言ってるなら、遠慮なく動いていい。
それが、自分の気持ちで選ぶってこと。
選ぶことで、自分を認めていこう
どんな結果が出ても、
「私が選んだことに意味があった」って思えるなら、
それは間違いなんかじゃない。
選んで、動いて、悩んで、失敗して、また選んで――
その全部が「私」という人生を作っていく。
他人のせいにしないって、ちょっと怖い。
でも、自分の人生に責任を持つって、ものすごく自由だ。
選ぶのは、いつだって私。
損得じゃなくて、気持ちで決めよう。
その選択が、あなたをちゃんと生きさせてくれる。

