連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

第39章:誰かのことばに、わたしのまなざしを重ねる

図書館での読み聞かせから一夜明けた朝。
加代子は、深呼吸とともに目を覚ました。
「昨日はいい時間だったな……」
どこか、体の奥に静かな満足感が残っていた。

問いかけに答えずに、想像の扉を開いていく子どもたち。
その一人ひとりの表情が、ずっと加代子の中にあった。

 

正解を与えず、問いと共にいること。


それは、かつての自分が最も怖れていたことだった。
“ちゃんと答えなければ”“間違ってはいけない”
そんな思いに縛られて、自分自身の言葉さえ信じられなかったあの頃。

 


 

午前9時半。職場の休憩室で同僚たちが話していた。
「昨日のあの人、また“家のことなんて息抜きでしょ”って言ってた」
「いやいや、ワンオペで言われたらマジできついんだけど……」

少しピリついた笑いの中に、疲れと苛立ちが混ざっていた。


加代子が近づくと、話題が一瞬止まり、すぐに切り替えられた。

「加代子さんなら、どう思った?」

問いを向けられた加代子は、ふと考える。
過去の自分なら、相手に同調するようにして答えていたかもしれない。


でも今は、相手の言葉の“奥”を想像するようになっていた。

「……うん、確かに、言い方はちょっと無神経だったかもしれない。
でも、“家庭=楽”って思ってる背景には、
そういう家庭で育ったとか、自分なりの頑張りが“当たり前”だった可能性もあるのかなって思って」

「背景かぁ……そういうふうに考えたことなかったな」
「相手の言葉の裏に、どんな景色があるかって考えるのって、難しいけど……面白いね」

 

言葉は、相手の声としてだけでなく、
その人が見ている“景色”として受けとるものかもしれない。


 

夕方。


玄関のドアがバタンと開いて、息子の湊がランドセルを肩からずらしながら帰ってきた。

「ねぇママ……今日さ、友達に“ヘンだよお前”って言われた」
「うん……湊は、それ聞いてどう思ったの?」
「ムカッとはしたけど……なんか、すぐに笑ってたし……なんで言ったのかなーって思って」

湊の表情は少し曇っていた。でも、その奥にある“考えようとしている姿勢”が、加代子には見えた。

「そっか。湊が“なんで言ったのかな”って思えたの、すごいと思うよ」
「え……なんで?」

「だってさ、“言われたこと”にカッとなるのって、普通のことだよ。
でも、“どうしてその子がそう言ったのかな”って考えるって……
その子の“気持ち”を想像しようとしてるってことじゃない?
「うーん……でも、想像しても分からないときってあるよね」

「うん、そういうときもある。
でも、“分からないけど、想像しようとした”っていうことが、すごく大事なんだと思うよ」

湊は少し考えてから、納得したように「うん」と頷いた。

 


 

夜、湊が寝静まったあと、加代子はキッチンのカウンターに座りながら、自分にそっと呟いた。

「ことばって、不思議だね……」

他人の言葉に、ただ反応するだけじゃなく、
その言葉がどこから来たのか、どんな気持ちから生まれたのかを想像するようになっていた。


そして、そんな自分の変化が、湊にも伝わっている気がした。

 

“誰かのことば”に、自分のまなざしを重ねて、
言葉の意味をもう一度、丁寧に編みなおしていく。

それはきっと、他人を理解しようとする優しさであり、
かつての自分をも抱きしめる行為なのかもしれない。


 

“正解”ではなく、“まなざし”を重ねるということ。
それができるようになってきた今の自分が、少しだけ好きだと思えた。

そして、
誰かがまた自分に問いかけてきたとき、
その言葉に、そっとまなざしを添えられる自分でありたい。

🔹次章予告:第40章:笑顔の余白に、わたしがいる

最近の加代子は、すぐに“答え”を出そうとしない。
かつての彼女なら、「これはね…」と、知っている限りのことを一生懸命伝えようとしていた。
間違えないように、子どもに恥をかかせないように、誰かに批判されないように。

 

 

  独り言・・・

 

相手の言葉の“奥”を想像する

人の言葉だけじゃなく、その人が見ている“景色”として受けとる

 

人に寄り添うって言うのは、そういうことを言うんだろう。

 

ただ短慮で浅はかな私には、人に寄り添うことの価値を見いだせない時が往々にしてある。

 

人との出会いは、巡り合わせて数奇なモノ

同じ人に何度も会うことは、奇跡と言って良いんじゃないだろうか?

 

そんな奇跡ともいえるような数奇な出会い。

いつまでも続くとは言えない。

だからこそ、大切にすることの価値と意味を否定はしないし、素敵であろうと願うのは素晴らしいことだと思う。

 

でも、2度と合うこともない相手に寄り添うことのメリットは何だろうか?

今の出会いでさえ、別れは来る。どうせ別れてしまうのに、誰かの為に自分に負担をかける必要なんてあるのか?

いつ会わなくなるとも限らない、2度と会わないかもしれない、縁なんてすぐに切れてしまう。

そう思って、好き勝手に生きる方が楽で自由だと言えないだろうか?

 

そんな否定的な言葉をいくら並べたところで、結局私達は承認欲求や自己存在感っていう他人に依存する欲望を抱えている。

他人に依存する自分を満たす気持ちがある以上、自分以外の誰かに寄り添うことは必要になってしまうだろう。

 

良く思われていたい・・・認められたい・・・

その為には、人間関係を負担なく円滑にしていくことが重要になってしまう。

 

だからこそ、自分の気持ちを相手の言葉に左右させるだけじゃなく、言葉の向こうに目を向けることで

他人からの言葉や影響を受け取る時に、自分に負担なく余裕を作る時間と解釈の方法を探すのは、良い方法の選択なのかもしれない。と、私は感じている。