連載形式での投稿をしていきます。
『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』
姿を描いていきます。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
主人公:加代子
正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、
自分を否定したくなる気持ちを持っている。
『“わたし”に耳をすませる』
加代子はスマホを見つめていた。
親指が、画面の「投稿」ボタンの上で止まっている。
一週間前から何度も書いては消してきた文だった。
言葉は浮かぶのに、どこかで「これでいいの?」という声がよぎる。
「自分なんかが、誰かに届ける言葉を持ってるって言っていいの?」
そんな問いが、まだ消えないままだった。
第38章:にこにこと、問いと、ちょっとのアドリブ
「ママ、ほんとに読むの?」
靴を履きながら、娘の菜々は顔をしかめた。
「読むよ。だって、お願いされたんだもん」
加代子は笑ってバッグを肩にかける。
土曜日の朝。近くの図書館。
子ども向けの読み聞かせボランティアの募集が、地域の掲示板に載っていたのを見たのは数週間前だった。
最初は、ためらいがあった。
「私なんかが、誰かに何かを“伝える”なんて」と思った。
けれど、“誰かに伝える”ということは、“いま、ここに、自分がいる”と静かに示すことでもある――
そんな実感が、前回の投稿や友人との対話の中で芽生えていた。
「ママ、失敗しない?」
息子の湊の声に、加代子は笑った。
「失敗するかもね。でも、それもいいかなって思ってる」
図書館のキッズルームには、10人ほどの子どもたちが集まっていた。
小さなイスに座り、期待と好奇心で目を輝かせている。菜々と湊も、その中に混ざっていた。
加代子は、手に持った絵本をゆっくり開いた。
『ふしぎなあおいこ』
――見たことのない色、見たことのない形をした、どこか寂しげな“あおいこ”が主人公の物語。
声に出して読むとき、加代子は何度かつかえた。
でも、子どもたちは笑ったり、身を乗り出したりしながら、しっかりと聞いてくれていた。
そして、物語の途中で、あるページをめくったとき、
ひとりの子が突然、声をあげた。
「なんで“あおいこ”は森からにげたの? どうして?」
その瞬間、時間が止まったような気がした。
以前の自分なら、絵本の中にある“正解”を焦って探していただろう。
でも今の加代子は、微笑んで子どもたちに問いかけた。
「どうしてだと思う?」
子どもたちの目が、一斉に輝いた。
「こわい音がしたから!」
「まちがえて森にきちゃったんだよ!」
「おなかすいたから帰ったんじゃない?」
「ほんとは森の中に、なにかいたんだよ!」
「なにかって、なに?」
「えーっと、“みえないともだち”!」
笑い声がひろがる。
加代子は、にこにこしながら頷いた。
「どれも、すごくおもしろいね。みんなの考え、全部アリだと思うよ。
正解って、ひとつじゃないかもしれない。
“もしもこうだったら”って考えるのって、とっても大事なことなんだよ」
菜々がそっと手を挙げた。
「じゃあ、ママはどう思ったの?」
加代子は一瞬、考えてから答えた。
「わたしはね、“あおいこ”は、だれかに会いたかったんじゃないかなって思ったの。
森にいても、ずっとさみしくて……誰かに、“今ここにいる”って伝えたくて。
でも、うまく言えなくて、逃げちゃったのかも」
すると、隣にいた湊がつぶやいた。
「ぼくなら、“ともだちカード”あげる」
「ともだちカード?」と子どもたち。
「うん。“ぼくは、ここにいるよ”ってカード。にこにこマークつけてさ」
「それ、めっちゃいい!」
「それで“あおいこ”も、にこにこになれるじゃん!」
そのあとの時間は、子どもたちが「“あおいこ”のその後の話」を即興で作る“おはなし大会”になった。
・おにぎりを持って森に戻る“あおいこ”の話
・“ないしょのオバケ”と夜空に飛ぶ冒険の話
・“ともだちカード”が魔法になる話
誰も“正しい話”なんて探していなかった。
問いは、ただ遊びの入り口だった。
それだけで、十分だった。
読み聞かせが終わった後、菜々が加代子の手を握った。
「ママ、さいしょちょっと緊張してたね」
「うん、ばれた?」
「でも、すっごくよかった。なんか……みんな楽しそうだったし、ママの声、すきだった」
その言葉に、加代子は思わず立ち止まり、ぎゅっと菜々の手を握り返した。
“伝える”って、こういうことなのかもしれない。
うまく話すことじゃない。
正しく導くことでもない。
ただ、自分のことばで、自分の今を届けようとすること。
子どもたちは、問いと想像のなかにいた。
そして加代子も、そこにいた。
“今の自分が大切にしたいこと”を選んでもいい。
それが、誰かと“いま、ここ”を分かち合うことにつながっているなら。
その夜、加代子はSNSに投稿した。
「問いは、正しさよりも、ひらかれたまなざしのほうへ向かっていく。
“どうして?”に、“これかな?”って、いくつかの可能性をそっと置いてみる。
そうすると、誰かの想像がふくらんで、世界がにこにこになる。
答えじゃなくて、まなざしを届けたい――今日は、そんな気持ちでした。」
“伝える”ということは、何かを教えることではない。
“正解”を差し出すことでもない。
ただ、まっすぐな問いに、まっすぐなまなざしで向き合うこと。
それだけで、心と心が少し近づく。
加代子は思った。
「わたしにも、こんなふうに伝えられる言葉があったんだ」と。
🔹次章予告:第39章:誰かのことばに、わたしのまなざしを重ねる
その子の“気持ち”を想像しようとしてるってことじゃない?
独り言・・・
子供に話すことが何かのキッカケになるんだろう。
子供って言うのは、いい意味で素直で斬新だ。
私達が持っていたはずなのに、忘れてしまった何かを持ってくれている。
でも、私達の気持ちや考えを伝えることをしてしまったら、子供たちも私達と同じように持っていた何かを・・・
忘れてしまったり、無くしてしまうだろう。
でも、子供に限らず・・・人の自由な言葉を自由に聞いているのはストレスになることがある。
自分の意見や考えを言いたくなってしまうからね。
どうやって聞くのか?
も、大切なのかもしれないけれど、伝えるとしたらどうやって伝えるのか?
むしろ、伝えない事の大切さ・・・が、あるのかもしれないって思うのは、私だけなのかな?


