連載形式での投稿をしていきます。
『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』
姿を描いていきます。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
主人公:加代子
正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、
自分を否定したくなる気持ちを持っている。
『“わたし”に耳をすませる』
第34章:わたしを選ぶ、ということ
誰かの言葉に傷つき、
誰かのまなざしにおびえ、
誰かの期待に沈黙してきた。
けれど今、加代子はその「誰か」に、少しずつ別のまなざしを向けられるようになってきた。
それは、敵意や警戒ではない。
どこか、自分と同じように「言葉を探している人」として、他者を見つめるまなざしだった。
ある日、PTAの集まりの後に話しかけてきた母親がいた。
どこか言葉を選びながら、小さく笑って言った。
「うちの子、学校でちょっと浮いてるみたいで……。でも、家であんまり話してくれないんです」
以前なら、加代子はただうなずいて、「そうなんですね」と返して終わっていただろう。
うかつに励ますことも、軽々しく共感することもできず、話すこと自体を避けていた。
でも、その日、彼女の中でなにかが違っていた。
「……うちの子も、学校で“自分のまま”でいられるか、心配だった時期があって。話しかけても、全然応えてくれないとき、ありますよね」
その言葉が出た瞬間、自分でも少し驚いた。
“経験”ではなく、“今のわたし”の言葉として口にした。
言葉を届ける、というのは、ただ知っていることを話すことではなかった。
自分が感じたもの、自分の痛みや揺らぎから、そっと言葉を差し出すこと。
すると、その母親は、少しだけ肩を落とし、こんなことをぽつりと言った。
「……ちゃんとしなきゃって、つい思っちゃって。わたしが母親なんだからって。でも、わたし、そんなに立派な人間じゃなくて……」
その瞬間だった。
胸の奥で、なにかが、柔らかくほどけた。
「それで、いいんじゃないかな」
「立派じゃなくても、揺れてても、それでも一緒にいようって思えることが、たぶん、いちばん大事なことかも」
言いながら、自分にも言っていた。
立派じゃない母親でいい。
うまく言葉を選べない日があってもいい。
大切なのは、そこに“いたい”と思っている自分を、選びなおすこと。
帰り道、加代子はふと足を止め、スマートフォンのメモ帳を開いた。
そこには最近、ふと思いついた言葉を書き留めるようにしていた。
その中に、こう綴られていた。
「誰かの“正しさ”じゃなくて、わたしの“願い”を選ぶ。
それが、わたしを選ぶということ。」
文字にしてみて、ようやく実感が追いつく。
いま、わたしは、
他者に迎合する言葉ではなく、
“わたしから生まれたことば”で、つながりをつくろうとしている。
それは恐ろしく、でもあたたかい。
言葉はまだ拙く、すぐには届かないかもしれない。
でも、自分の中で嘘をつかないように、
誰かを傷つけないように、
ゆっくりと、届けていく。
ある夜、理子から久しぶりに連絡が来た。
「今度、同僚の子と話すんだけど、ちょっと心が折れてる感じで……加代子さん、何か言葉、貸してくれない?」
加代子は一瞬だけ迷い、スマートフォンに文字を打った。
「うまく言えないかもしれないけど、“あなたが感じてることには、意味がある”って、伝えてあげて」
理子は「わかった、伝える」とだけ返してきた。
そのシンプルなやりとりが、加代子には不思議と深く残った。
言葉は、相手に“理解させる”ものじゃなく、
“手渡す”ものなんだと思う。
どう受け取るかは、その人次第。
だからこそ、わたし自身が誠実であることを、今は大切にしたい。
「わたしは、間違ってもいい。
選びきれなくてもいい。
正しさよりも、『今の自分が大切にしたいこと』を選んでもいい。」
加代子はまた、その言葉を静かに口にした。
それはもう、慰めではなく、生き方の輪郭になってきていた。
🔹次章予告:第35章:ことばを、手渡す
週末の公園で、加代子は息子の遊びを見守っていた。
木陰のベンチに座り、風にそよぐ木々の音を聞きながら、周囲の親子の姿を目で追う。
視線の先にいたのは、幼稚園時代から顔見知りのママ友・遥さんだった。
独り言・・・
私は間違っても良い
もちろん、あなたも間違って良い
正解なんて見つける必要ない。
『大切なのは、私が今ここに居たい』って思える気持ちがある事
その気持ちを見失った私は、そこに居ることが出来なかった。
居続けようとする努力を怠った。
改善しようとせず、自分を見つめようとせず、相手の言葉の真意を考えなかった。
なにも求めず、今がある事を・・・自分が持っているモノを・・・なにも大切にしていなかった。
だから後悔する形として残ることになったんだろう。
「やっていれば」「言っていれば」「見ていれば」
出来たこと。なのにしなかった・・・
気にしていたのは、いつも他人の視線。それに耐えられない自分。
やり直すことは出来ないから、せめて繰り返さないように。
私は自分の気持ちと、言葉だけに振り回されない思いを持っていたい。
それが、「自分がどうしたいのか?」って言うことなんだ。

