今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。
『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』
姿を描いていきます。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
主人公:加代子
正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、
自分を否定したくなる気持ちを持っている。
『“わたし”に耳をすませる』
第24章:考えることを、分かち合う
雨上がりの午後。
加代子は、理子と図書館の隣にある静かなカフェにいた。窓越しに濡れた木々の葉が、陽を受けて揺れているのが見える。
喧騒から遠いこの場所は、加代子にとって「問いの余白」を許してくれる数少ない場所だった。
「このあいだ、母と少し話したの」
加代子の言葉に、理子が眉を上げる。
「へえ、どうだった?」
「……何かを言い合ったってわけじゃなくて、ただ、沈黙を一緒に過ごしただけなんだけどね。でも、不思議と、それでよかったって思えたの」
「それって、すごく大事なことだよ」
理子はすぐに答えず、紅茶のカップに目を落としたあと、やわらかく言葉をつないだ。
「問いって、自分の中で抱えるものだと思ってた。でも、それだけじゃなくて、誰かと“考える”って、つまり問いを一緒に持つことなんだよね」
加代子は、胸の奥が静かに震えるのを感じていた。
問いを共有すること。
答えではなく、「考えていることそのもの」を、誰かと差し出し合うこと。
それが、こんなにも安心を生むなんて。
昔の自分には、想像もできなかった。
***
少し時間が経ち、加代子はぽつりと口を開いた。
「ねえ、私……どうなりたいのかな、って最近よく考えるの」
理子は黙って、続きを待ってくれている。
「昔からね、ちゃんとしなきゃ、間違えちゃいけないって、ずっと思ってた。誰かの期待に応えないと、自分には存在する価値がない気がしてた。でもさ、そういう価値観を今すぐ手放すのは、正直難しい。トラウマって、きれいに片付かないのよね。ふいに戻ってくるし」
「うん。戻ってくるね。私もそう」
「でも最近は……“手放せなくてもいい”って、思えるようになってきたの。変わらない部分を、変えようとしすぎなくても、ただ“ある”って受けとめる。問いを抱えたままでも、歩いていいんだって」
理子が、目を細めて笑う。
「それが“考えながら生きる”ってことだよ。消せないものを、あえて抱えて、でもそのまま一歩を踏み出すってこと」
加代子は静かにうなずいた。
***
問いとは、ある一点で答えにたどり着くものではなく、むしろ生きながら背負っていく形のない灯りのようなものなのかもしれない。
だから、自分がどこへ向かうかは、問いと一緒に歩く中で、すこしずつ見えてくるものなのだ。
子どもの将来のこと、夫婦としての関係、仕事における居場所。
一つひとつ、加代子は答えを持っていない。
それどころか、問いすらまだはっきり形になっていないものもある。
でも、それでいい。
そう思えるようになった。
問いを持てない夜を越えて、
問いを持ちきれない昼を越えて、
こうして他者と「問いを共有する日」がある。
それが何よりの救いだった。
***
店を出て、ふたりで並んで歩いていると、木々のあいだから差し込む光がやさしかった。
「ねえ、理子。私、これから“答えられる人”にならなくていいのかもって思ってる。問いと一緒に歩ける人でありたいっていうか」
「それ、素敵だよ。すごく哲学的」
「そんなつもりじゃなかったんだけどね。でも、そうか……考えるって、そういうことか」
加代子は、初めて「考えることは、ひとりじゃなくてもできる」と心から思った。
変われない過去も、自分の不器用さも、あってもいい。
無理に克服しなくても、生きていける。
問いの地図は、他者と交わした言葉や沈黙のなかに、少しずつ描かれていく。
それが、「私がどうなっていきたいか」への答えの一部になると、加代子は知ったのだった。
次回に続きます・・・第25章:ひらかれた時間の中で
人間関係が変わった。
それは、相手が変わったということではなく、
独り言・・・
私がどうなっていきたいか
私自身はどうなりたいんだろうか?
今を楽しく生きることで精いっぱいで、その先を探すことが出来ていない気もする。
時間がどれだけあっても、自分と向き合う時間が作れないように。
自分がどうなりたいか?って考えることも、未来を想像することも難しい。
私達は今を生きるだけで限界だから。
更に言えば、明日を迎えることが出来るだけで幸せだと思えてしまう。
もし、自分がどうなりたいか?って思えるんだとしたら、思い浮かぶ瞬間を手放さないようにすることなんだろう。
一瞬一瞬の自分の心の揺らめきを感じることが、未来を見つめる方法になるんじゃないだろうか?

