今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

『“わたし”に耳をすませる』

 

第17章:同じ言葉、違う応答

職場の給湯室で、湯気の立つマグカップを手にした加代子は、同僚の斉藤からこんな声をかけられた。

「ねえ加代子さん、最近ちょっと元気そうだけど…何かあった?」

 

その一言に、かつての自分ならこう感じていただろう。

(皮肉?何か裏がある?)
(“前は元気なかった”って、遠回しに言ってる?)
(私、職場でも迷惑かけてたってこと?)

心が勝手に“防御態勢”を取ってしまう。


そのまま「え? 別に…」と目をそらし、会話は途切れていた。

 

でも今日は、違った。

 


 

加代子はふっと笑って言った。

「うん、自分の考え方をちょっとだけ見直してるの。問いを持つようになって」

 

斉藤が一瞬、きょとんとする。

「問い…って、哲学とか? あの難しいやつ?」

「難しいっていうより、たぶん“素直になれる練習”みたいな感じかな」

斉藤は笑って、「それ、加代子さんらしい言い方ね」と言った。

そのとき、胸の奥で静かに何かがほどけた。


相手の言葉を「評価」や「採点」としてではなく、
“ただ、そこにある声”として受け止められた自分に気づいた。

 

「問いを持つようになって、言葉が“敵”じゃなくなったんだ」

加代子は、マグカップの湯気を見つめながら、そう思った。

 


 

その夜。夕食後のリビング。

 

夫が何気なく口にした。

「この前さ、洗剤の詰め替え、買い忘れてたみたいだったよ」

 

以前なら――

(また私のミス?いつも私ばっかり責めてくる)
(私が家事を全部完璧にこなさなきゃ、ってこと?)

そんな思考が反射的に巡り、口を閉ざしてしまっていた。

 

けれど、今日は違った。

 

「ああ、そうだったんだ。ありがとう、気づいてくれて」

夫がちょっと驚いたように、手を止めて言った。

 

「……うん、いや、別に責めてるわけじゃなかったよ?」

「あ、大丈夫。そういうふうには受け取ってないよ」

笑ってそう返したとき、自分の中に広がる“空間”に気づく。


言葉が、ただ言葉として流れていく。
“自分”を通して、傷にならずに通り抜けていく

 


「私は今まで、言葉に“刺さるかどうか”で反応していた」
「でも今は、“そこにどんな問いがあるか”で耳を傾けられる」

 

問いは、言葉の奥にある“意図”や“関係”を見る目をくれる。
たとえ批判に聞こえても、そこに含まれた**「願い」や「不安」**を探ろうとする姿勢がある。

それは、責められたくないからでも、良い人ぶりたいからでもない。
ただ、**「関係性のなかに自分を置き直す勇気」**だった。

 


 

その夜、加代子はノートにこう書いた。

 

「私が言葉に敏感だったのは、
 言葉を“自分の価値の証明”にしてしまっていたから」

「でも、言葉は本来、“意味を探る舟”なんだ」
「誰かの言葉に怯えるのではなく、“問い直せばいい”ということを、やっと体で覚えはじめている」

 

 

 
次回に続きます・・・第18章:変わらぬ人々と、変わる応答
人は簡単に変わらない。
でも、自分の“受け取り方”が変わると、
 

  独り言・・・・

 

素直になれる練習

 

自分の気持ちに素直になれる?

自分の気持ちを探して、見付けに行く?

 

簡単じゃないよね。

自分を見失っているって感じている人が多いんじゃないかな?

少なくとも、自分の気持ちを知っていて、表現できている人なんて・・・

私が出来ないだけなんだろうか?

 

「問いかける」

 

誰に対して問いかける?

 

「問いを持つ」

 

何に問いを感じる?

 

問いなんて簡単に感じたり、持つことが出来るモノじゃないだろう。

なにより、自分が変わっていくのは、「変わりたい」と思う気持ちがあるから。

問いを持つだけで、考え方を変えることが出来るかは分からない。

 

でも、ほんの少し時間を作ることが出来るかもしれない。

 

言葉を聞いてから、受け取るまでの本の少しの時間

自分の気持を感じてから、表現するまでの本の数竣

過去の自分を後悔する前の一時の間

 

間を作ることが出来れば、心に余裕を持つことが出来て

ちょっと見方を変えるチャンスに繋がっていくのかもしれないね。