今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

『“わたし”に耳をすませる』

第15章:返事を待つ、沈黙の中で

加代子は、鏡の前に座っていた。
ただそこに、自分が映っている。
白髪の混じり始めた髪。細くなった頬。


けれど、それよりも加代子を見つめ返していたのは、


**「長いあいだ無視されていた何か」**だった。

 

「あなたは、あのとき、なにを言いたかったの?」

静かに声に出してみる。
鏡の中の自分は、ただ黙っている。
その沈黙は、かつては恐怖だった。
でも今は――答えを急がない静けさだった。

 


 

ノートを開く。

今日の問いは、こう書かれていた。

 

「私は、どの瞬間に“自分を信じる”ことをやめたのか?」

 

書いた瞬間、胸の奥がひやりとした。
その問いには、まだ触れたくない何かがある。
けれど同時に、避けては通れない「扉」でもある。

加代子はゆっくりと、その記憶をさかのぼった。

 


 

大学時代の帰省。
家族で食卓を囲んでいたとき、父が言った。

 

「そんな勉強して、何になるんだ? 社会に出て通用すると思ってるのか?」

 

その言葉に、言い返せなかった。
心の中では「違う」と叫んでいたのに、
口からは、「うん……そうかもね」としか出てこなかった。

 

その“言えなかった瞬間”が、確かにあった。

「あのとき、私は“自分の声”を見捨てたのかもしれない」

 

そう思った瞬間、涙がふっとあふれた。
理由はうまく説明できなかった。
でもそれは、「やっと返事が届いた」ような涙だった。

 


 

問いには、すぐに答えが出るものと、
何年も、何十年も、
沈黙の底で“返事を待っていた問い”がある。

その問いを、今、ようやく自分自身に向けられるようになったこと。
それだけで十分だった。

 

「私は、自分に問いかける資格を持っている」

 

この言葉を書いたとき、加代子はペンを握りしめたまま、
何分も動けなかった。

 

第16章:再び生まれるための問い

日曜日の朝。
加代子は図書館の静かな一角にいた。


哲学書の棚を何気なく眺めながら、ふとある背表紙に目が止まる。

『なぜ人は生きねばならないのか ―― 無意味の中の意味』
(E.レヴィナス 著)

そのタイトルだけで、手が動いた。
めくったページの途中に、こんな一文があった。

「問いかけることは、応答を信じていることの証だ」
「人が他者に問いを投げるとき、そこにはすでに“あなたが応えてくれる”という希望がある」

 

加代子は、そこに震えた。

 

問いは、孤独の言葉ではない。
問いは、「つながろうとする意志」だったのだ。

 


 

自分を信じられなかったあの日々。
他者に問いを向けることができなかった日々。


それは、誰も自分の声に“応えてくれない”と感じていたからだ。

でも今、加代子は知っている。

 

応答は、外からではなく、“内なる他者”から始まることもある。

ノートを開く。

 

「問いとは、“希望”のもうひとつの形だ」

「私が問いを持てるようになったということは、
 私の中に“応答可能な何者か”が生まれ始めた証だ。」

「私は、もう一度、生まれなおしているのかもしれない。」


 

夜。

加代子はベッドに横たわり、天井を見つめながら、静かにこうつぶやいた。

「私にとって、哲学とは、“問い続けてもよい”という許可だったんだな……」

その言葉は、誰にも届かなくてもよかった。


でも、自分の心の一番深い場所に、しっかりと届いていた。

 

 

 

次回に続きます・・・第17章:同じ言葉、違う応答

他者の言葉に対する反応の変化・・・