今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

第14章:否定という名前の肯定

夜、窓の外は静まり返っていた。

問いを重ねるうちに、加代子の中に不意に現れた記憶があった。

 

それは、自分が言葉を「吐き捨てた」記憶だった。

 

――あれは、10年以上前。


子どもがまだ小さかった頃、疲労と不安が溜まりに溜まったある日。
夫に向かって、加代子はこう言ってしまった。

 

「私だって好きでこんなふうにしてるんじゃないのよ! あなたが何も言わないからでしょ!」

 

言った瞬間、夫の顔が固まった。

加代子も、すぐに後悔した。


「言わなきゃよかった」と何度も思った。
その夜から、夫婦の距離は縮まることなく、静かに冷えていった。

 


 

しかし今、加代子は、その“叫び”に耳を澄まそうとしていた。

 

「あれは、ただの責任転嫁だったのか?」
「それとも、“助けて”という声だったのか?」

 

その問いは、自分自身の中にあった“否定された感情”を掘り起こしていった。

「否定」は、常に悪いものじゃない。
ときにそれは、「ここに痛みがある」というサインだった。
自分の限界を超えてしまった心が、SOSとして放った信号。

 

「私は、“壊れた”のではなく、“叫んだ”のだ」

 

そう言葉にしたとき、あの記憶が少しだけ、やわらかくなった気がした。

 


 

問いは、過去に対して“別の声”を届けてくれる。

 

もう一度語っていい。
もう一度、自分の側から語っていい。

 

その“肯定”は、「がんばったね」とか「あなたは素晴らしい」なんて言葉ではなく、
「それもあなたの声だった」と認めることから始まるのだと、加代子は知った。

 


 

次回に続きます・・・第15章:返事を待つ、沈黙の中で

「過去の自分と対話する」

 

 

  独り言・・・

 

「言わなきゃよかった」

自分の気持ちや言葉を否定したくなる時がある。

 

それは、自分を守るための方法の一つだろう。

 

痛みを感じるチャンスにもなれば、その時の行動を自分の為に出来るのかもしれない。

 

でも、大抵の場合はただの後悔になってしまい、自分を責める理由になってしまう。

感情が溢れてくる時の、後先考えない発言・・・

誰に対しても良い結果になることが少ない。

 

カッとなる時はある

止められない涙もある

思わず否定したくなる感情と言葉は、言っても言わなくても後悔する

 

分かっている。何度も繰り返している。

それなのに言ってしまうし、やってしまう・・・

 

だって、それが私達が持っている本当の気持ちの叫びなんだから。

意味なんて無い

 

「どうしようもない」っていう感情

自分でも表現できないだろうし、誰にも理解してもらえない感情

 

もし・・・振り返る時が来て、『後悔以外のなにか?』を見つけることが出来たなら・・・・

 

きっと、自分の心が傷ついた”痛み”を知ることが出来る時になる。

 

でもさ・・・過去の後悔と向き合って、感じ直すことが出来る時なんて滅多にないよ。

少なくとも私には、そんな心の余裕なんて無いんだもん。