今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

 

 

第11章:問いを持つという贈り物


ある午後、理子から「よかったら会いませんか」とメッセージが届いた。


以前SNSで言葉を交わしただけの理子。
それでも、加代子はなぜか断れなかった。
誰かに会うのは、久しぶりだった。
誰かに“ありのままの自分”として会えるかもしれない予感が、そこにはあった。

 


 

待ち合わせたカフェのテーブルには、静かな午後の日差しが差し込んでいた。
理子は落ち着いた声で「こんにちは」と笑った。


年齢は少し加代子より下だろうか。
けれどそのまなざしは、言葉よりもずっと丁寧だった。

 

「SNSで書いてた言葉、すごく好きです。問いを持ってる人の言葉だと思いました」

加代子は、驚いた。

 

「問いを……持ってる?」

「はい。何かを疑うって、すごく優しいことです。
 “違うかもしれない”って想像できる人って、強いと思う」

 

その言葉に、加代子の胸の奥がじんわりとほどけていった。

 


 

会話の中で、ふと理子がつぶやいた。

「私は、母とずっとうまくいかなくて。
 自分が悪いと思ってたし、母を責めることすらできなかった。
 でも最近、“本当に母は私を愛してたのかな”って思うようになって……
 自分が冷たい人間なんじゃないかって、怖いんです」

 

そのときだった。

加代子の中に、初めて“問いが湧く”感覚が走った。

 

「ねえ、それって……
 “愛してなかったかもしれない”って問いじゃなくて、
 “どうしてその問いを持つようになったんだろう”って考えてみたことある?」

 

理子が、目を見開いた。

 

「……そういう問い方、考えたことなかった」

「私も最近、思い出してばかりで。
 過去の言葉って、すごく強い。
 でも、その言葉をもう一度“問う”ことで、
 本当に言いたかったことが浮かび上がることもある」

 

言いながら、加代子自身が驚いていた。


“自分の問い”が、誰かの問いに寄り添っている。


それは、これまでになかった感覚だった。

 


 

帰り道、加代子は胸の奥に熱を感じていた。
それは、言葉にできるかぎりの“あたたかさ”だった。

 

「問いって、贈り物みたいだ」

思わず口に出していた。

 

“わからない”ことを、他人に手渡す。
“決めつけない”ことを、対話として差し出す。

 

それは、“答え”よりずっと豊かなものなのかもしれない。

 


 

夜、ノートを開いた。

「今日は、問いを“発した”。
 答えが出たかどうかより、その問いが“誰かと共有できた”ことが、
 なにより大きい。」

 

「問いとは、断絶ではなく、接続だったのだと知った。
 “違う”からこそ、つながれる場所がある。」

 

次回に続きます・・・第12章 沈黙に、耳を澄ます

 

沈黙は、拒絶。
沈黙は、失敗。

 

  独り言・・・

 

「どうしてその問いを持つようになったんだろう?」

 

とても不思議な言葉。

 

今まで、当たり前と思っていて特別なにかを感じることもないコトに、急に立ち止まって見つめる時

私達は、なにかに気が付けて

見方を変えるキッカケになる瞬間なのかもしれない。

 

普通だと思っていたこと・・・

愚痴を言って、不満を言う

自分に絶望して、悲観して、諦める

 

思い通りにいかない現実の中で・・・「否定されていると思っていた現実」に疑問を持つ

 

否定されていた事実の有無じゃなく

どうして自分が思っていたのか?って言うこと自体に疑問を持つ

 

どういうことか・・・伝わるかな?

 

自分が実は何かを求めていたんじゃないか?

求めていたのか?求められていたのか?

それとも、不安や心配を煽るような何か出来事や言葉があったのか?

 

人は、自分が感じる世界が全てて、見たいモノを見る生き物

 

その上で、「どうしてその疑問の持ち方をしたのかな?」

っていう、疑問に対する問い

 

否定的な問いを持った理由

肯定的な疑問を持った理由

 

なぜ?私はその疑問を持つことになったのかな?

正解と正しさだけでは、私達が生きていくには複雑すぎる今の世界

自分は今・・・

どこに居て、何を思うのか?

 

私は今ここに居る!って言える人がどれだけいるのだろうか?