今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

 

『“わたし”に耳をすませる』

第5章: 本のなかで、言葉に出会う

 

「あのとき、どうして“そんなこともわからないのか”って言われたんだろう」

 

夕暮れ時のキッチンで、皿を洗いながらふいに加代子はつぶやいた。
10年以上前の職場のことだった。失敗ではあったが、誰にでも起こりうる些細なミス。
けれど、その一言は鋭く突き刺さったまま、今も抜けない。

 

“そんなこともわからないのか”

 

それは質問ではなかった。問いかけでもなかった。
ただ、「お前は劣っている」と切り捨てるような言葉だった。

けれど、ふと思う。


“そんなこと”って、なんだろう。


なぜ、それが“わかって当然”とされていたのか。
誰が、どこで、何を基準にしていたのか。

 

問いが生まれる。
今さらかもしれない。遅すぎるかもしれない。
けれど、この問いが生まれたこと自体が、何かの始まりのような気がした。

 

翌日、加代子は職場でうまく言葉を返せなかった。
上司に言われた何気ない一言に、また心が沈んでしまった。

 

「それくらい、普通にやってくれればいいんだけどね」

普通、という言葉はときに無慈悲だった。

 

(また、あの時と同じだ……)


“普通”とは誰にとってのものか――その問いすら、浮かんでこなかった。

帰り道、足は自然と図書館へ向かっていた。
スマートフォンの画面で見かけた哲学の言葉が、どこか心に引っかかっていた。

 

(紙の本に触れてみたい)

 

静かな図書館。心地よい冷気と、紙の匂い。
ふと手に取ったのは『やさしい哲学入門』という薄い文庫本だった。

ページをめくると、こう書かれていた。

 

「“わからない”を放置せず、問いとして残すこと――それが哲学のはじまりである」

ページの端をそっとなぞりながら、加代子は思った。

 

(私は、ずっと“わからない”を恥ずかしいものだと思ってた)
(でも、それがはじまりなら……)

『自分の中に芽生えた疑問そのものが、まなざしであり、問いであり、生きる態度だったのではないか?』と、感じ始めた。

 

ベンチに腰を下ろして読んでいると、隣に座っていた女性が声をかけてきた。

「その本、私も読んだことある。最初の数ページだけだけど」

加代子は少し驚いて顔を上げる。


落ち着いた雰囲気の女性。柔らかいけれど、どこか芯のある目をしていた。

「最初のページに書いてあった“問い続ける”って、簡単なようで難しいですよね」

それが、理子との最初の会話だった。


第6章 :誰かと、問いを分かち合うということ

図書館での偶然の出会いから、理子と加代子は少しずつ言葉を交わすようになった。
理子は週に何度か図書館に来て、仕事帰りに哲学や文学を読むのだという。

 

「私、哲学なんて全然わからなくて」


加代子が正直に言うと、理子はにっこりと笑った。

 

「わからないままでいいんですよ。わからなさに誠実であること、それが哲学だから」

その言葉が、加代子の胸にすっと染み込んだ。

 

(誠実であること…私は、自分に誠実だったことがあっただろうか)

 

理子は話すたびに、「正しさ」ではなく、「問いの持ち方」を大事にしていた。

「問いを持つとね、不安がなくなるわけじゃないけど、不安を見つめられるようになる。
不安って、自分に向き合うきっかけかもしれない」

その夜、加代子はノートを開いた。
誰かに見せるつもりはなかったけれど、言葉にして残しておきたかった。

 

「“わからない”という感情が、こんなに穏やかに隣にいられるなんて」
「問いを持っても、まだ苦しい。でも、そこに理子さんがいてくれた」

 

 

 

次回に続きます・・・第7章 “ひとりの哲学”と“ふたりの沈黙”

 

 

  独り言・・・

 

一人ではどうやっても答えを見つけられない時もある。
かといって、誰かとの繋がりを見つけるのはとても大変な時もある。
 
偶然の出会いに、自分の世界が変わってしまう時はよくある事かもしれない。
 
そして、それがたまたま自分が迷い悩んで、立ち止まっている時なことも多い。
 
偶然の出会いに奇跡を感じるのか、
自分が求めている時の出会いだったら、大切に感じられてしまうのか
自分が求めていたのか、本当に偶然だったのか・・・・
 
出会いの善し悪しより、自分がどう思うのか?がきっと大切になるんだろう。
 
特別な出会いじゃない。
職場の上司。
その出会いにさえ意味を見つけることが出来て、
上司の些細な言葉、記憶の中の消せない言葉
言葉の偶然にさえ意味を見つけることが出来るなら
 
私達は何も迷わず、悩まず、苦しむことも無いのかもしれない。
 
でも、そんなに簡単に前向きにとらえられるほど私達は強くないし、いつでも心に余裕があるわけじゃない。
 
なんにでも、意味と理由を見付けられて、問いを持つことが出来るのは・・・
心に余裕がある時だけだろう。