今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。
『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』
姿を描いていきます。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
主人公:加代子
正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、
自分を否定したくなる気持ちを持っている。
『“わたし”に耳をすませる』
第4章:沈黙の呼吸
昼下がりのオフィス。
加代子は、パソコンの画面に向かいながら、ずっと考えごとをしていた。
資料を整え、メールを返信し、日常のルーチンは淡々と流れていく。
けれど心の中では、言葉にならない感情がゆっくりと波のように広がっていた。
この数日、「言葉」について考えることが増えた。
それは哲学の断片のせいでもあり、自分の中の息苦しさの正体を探しているせいでもある。
ふと、隣の席の同僚がため息をついた。
視線が合ったわけでも、声をかけられたわけでもない。
けれどその呼吸の音が、加代子の内側に小さく届いた。
──なぜ、今のため息に反応してしまったのだろう?
言葉ではなく、沈黙や、わずかな気配。
そういうものに、最近は妙に敏感になっている気がする。
彼女の心は思い出す。
昔、母親が何も言わずに食卓を片づける背中。
夫が口をつぐんだままテレビを見つめていた夜。
そして、職場の上司が資料を受け取るときの、ほんの一瞬のまばたき。
そういう「言葉にならないやりとり」が、加代子の心に傷をつけていたのかもしれない。
そしてそれは、沈黙の中に潜む「否定」の気配だったのだ。
けれど最近読んだ哲学書の中に、こんな言葉があった。
「沈黙は、否定だけではない。
沈黙は、まだ名づけられていないものの居場所である」
──モーリス・メルロ=ポンティ
加代子はハッとした。
沈黙=無視や否定だと思っていた。
でも、「まだ言葉にならないもの」「まだ言葉にしていないもの」があるという考え方があるなら──。
それは、加代子自身にも当てはまるかもしれない。
「何かを言えないから、私には何もない」のではなくて、
「まだ言葉にならない感情を、私は持っている」と考えることは、
沈黙を自分の味方にすることかもしれない。
午後の仕事が終わり、帰宅した加代子は、静かな部屋でひとり座った。
夫は今日は遅くなるらしい。
テレビもつけず、スマホも見ず、ただ部屋の静けさを受け入れる。
沈黙の中で呼吸するというのは、奇妙な感覚だった。
何も言葉がなくても、心の中は騒がしい。
でもその騒がしささえ、否定せずに眺めてみること。
それが今の彼女にできる、小さな行為だった。
ノートを開く。
今日は何も書けないかもしれない、と思った。
でも、手は自然に動いた。
「沈黙は、逃げではない。沈黙は、名づけの前にある問いの声。」
それを書いたとき、加代子の目から一滴、涙がこぼれた。
理由はわからなかった。
ただ、それは肯定でも否定でもない、たしかな“呼吸”のような涙だった。
次回に続きます・・・第5章 彼女を揺さぶる言葉との出会い
独り言・・・
沈黙に意味があるとすれば、言葉が無いことだろう。
表現できない、答えられない、言いたいけど言えない、伝えたいけど伝えられない
時としてそれは「不機嫌」っていう感情表現になる時もある
同じように、「愛情」や「労わり」っていう表現として使われる時もある。
でも、それは沈黙した側の思惑だけで表現できることじゃない。
受け取る側が「どう思うのか?」に尽きてしまう。
でも、沈黙の解釈をする側、受け取る側が意味を見出してくれたなら、とても多彩な表現方法になるのかもしれない。
それでも常に残る「不安」って言う気持ち。受け取る側がどんなに善処しても不安は拭えない。
最後にはさらに言葉にならない感情に負けてしまうことになるだろう。

