真実は甘美な味がするんだろうね。
誰もが真実を求めてる。
自分の本当なんて、誰に伝えるの?
誰の真実が知りたい?
今となっては真実ほど分からないモノなんて無いって思ってしまう。
真実だと思っていた、人の言葉が本当かどうか?実際のところは分からない。
分からないから、さらに真実を探すんだろうし
誰かの言葉を信じたいから、本当っていうモノを見付けたいんだろう。
私もそう思っていた時がありました。
物の価値や情報の価値を知る為に、なんでも知っている人になりたくて・・・
言葉の真偽を探りながら人との会話を楽しみながら
自分にとって都合の立ち回りがしたくて、真実って言う強い力が欲しかったんだと思います。
結局、真実なんか何一つ見つけられないし、私には分からないことだらけだったけどね。
私が諦めたこと・やめたこと。⑤ 真実を求めること
真実って言葉を簡単に使うけど、何が真実かなんてどうして分かるんだろう?
まぁ確かに、物的証拠があれば何かしらの証明にはなるだろうね。
それをいつ使うのよ?何に使うのよ?
って、そんなの決まってる。
誰かとの力関係を作る時に、真実を知っていて、証拠を握っている方が強いんだ!
絶対に!
例えばさ・・・
何かを隠したい人が居たら、隠したい事実を知っている人はアドバンテージを持つわけじゃない?
そしたら、真実っていうモノを持っている・知っている人は強いって認識になる。
あらゆる場面で、誰かより強いポジションに居る方法の一つが、
相手の真実を知っていることになるんじゃないかな?
恋愛だとしても、相手の気持ちを知っていればいろいろな場面で優位に立てるのは事実じゃない?
相手が自分を好いていてくれる確固たる事実を認識できれば、ある程度我が儘は言えるだろうし、
プレゼントを贈る時だって、相手のニーズに合わせることが出来る。
デートだって好みの場所を選べれるし、好きなモノを食べさせてあげることだって出来る。
相手を喜ばせることも、自分の気持ちを通すことも、『相手の本当の気持ち』・【真実】を知っていれば造作もない。
自由に相手との関係を作っていくことが出来る。
って、思うのは傲慢かな?
いや、たださ・・・ここで思ったのよね。
どれだけ相手重視なのよ。
他人に合わせて振り回されてるって事実を見失ってるだけじゃない?
ってさ・・・
真実なんて必要ない。私は私が受け入れたことを真実にする
真実を欲しがる。
自分の本当も分からないのに、他人の真実を求めて気持ちを聞こうとする。
自分が分からないのと同じように、相手も他人も本人の本当の思いなんて分かりはしない。
だって、その時々で変わるんだから。
食べ物の好みが変わるように、気持ちや状況によって変化していくのは珍しいことじゃない。
私が求めていた他人の真実っていうモノも、その時の本当であって
その先も同じ答えが聞けるわけもない。
「今日の気分」って言うのが誰にでもあるからね。
それでも知りたがるのは、好奇心?それとも何か他にメリットがあるのかな?
今の私には分からないよ。
真実なんていうモノは、その時々で違うって思うから。
聞くだけ無駄だし、無意味なコトなんだって感じるようになった。
変わらない事実があるのは、過去のコト。
過去は変わらない。自分の行いや、発言は消すことが出来ない事実としていつまでも残り続ける。
そんなものを掘り返して、誰が得をするのか?
少なくとも私は得をしないって感じる。
だとしたら、真実を求める意味は何なのかな?
真実は過去。それは私には関係ない
その人の過去は、その人のモノ。
私自身と、どんな関係になったとしても、私にはそれに影響することは出来ない。
同じように、その人の過去が私に何かを影響するのか?って言われたら、
特別なんの不利益も起こりはしない。
強いてあげるなら、話しのタネになって、酒の肴になるくらいのコト。
話題になるくらいにしか、私に影響のない人の過去なんて、私が掘り返して聞き出すようなことじゃない。
相手が自分から話題として提供する時に、聞ければ十分楽しい時間として過ごせる理由になるだろう。
私から求める必要はない
もし、楽しい時間の為の話題が必要なら、私の過去を掘り返せば良い。
他人の真実なんて、私の真実で楽しめるなら必要無いって思わない?
深い関係になっていく時に、相手の過去を知ることがあるかもしれない。
相手の真実を求める時が来るかもしれない。
だからって、関係に影響するような事実が出てくるのかな?
少なくとも、私には思い浮かばないよ・・・。
だって、過去なんだもの。
今の私にも、その人にもどうすることも出来ないじゃない。
どうにもならないことを、どうこう言うのはナンセンスだよ。
真実なんていくつもある。
人の言葉から出てくる真実。
本当に真実?
例えばさ、私も営業していたから分かるけど・・・・
営業マンの言葉って、嘘は無い。
嘘は無いし、真実だけど・・・
営業マンにとって都合の良い事実だけが並べられている。
不都合な事実は出て来ない。
聞き手に、お客さんにミスリードさせるような事実を並べて、真実が一つであるかのように伝える。
不思議じゃない?
嘘じゃない。全部事実。でも、それは都合がいい事実。っていうモノがある事が。
結局は受け取り方次第で変わってしまうんだよ。
真実なんていうモノはさ
いつの時も一つとは限らない。
あなたの求める答えじゃないモノを聞いた時には否定するんじゃないかな?
私にも記憶があるよ・・・
どれだけ一生懸命説明しても、信じて貰えないっていう事実が。
相手が勝手に作り上げた【事実】って言う幻想に、私の言葉が勝てないんだ。
そしたら、相手に合わせた【事実】を伝える方が楽じゃない。
少なくとも、子供の私は怒られる時間を減らすために、先生の言葉に頷くことで精一杯だった。
真実って、事実って、私の認識していることが正解とは限らない。
私が子供の時、怒られていた時の事実は・・・頷いた瞬間に変わってしまったんだから。
変わらないはずの過去は、私の中にだけあって・・・他のどこにもない
先生の事実は、先生の認識で出来上がって完結。万事解決。
真実なんて、人によって変わる。そんなモノ・・・
求めるほどの価値なんて見つからない。
矛盾じゃない。目線と価値観と考え方。
シュレーディンガーの猫って知ってる?
難しい部分は全部端折るけど・・・思考実験。
物理学と量子学の解釈の実験を、例えを使って表現した実験?とか、まぁそんな感じ。
要は、実験では猫が死んでいる状態と生きている状態が同時に存在するって言うことなのね。
この矛盾は事実で真実なのよ。
見方と観点が違うから、そういう見解になるだけ。
でも、実際に実験したら猫さんは残念な結果になってしまう実験だから悲しいけどね。
私の感じている真実も同じこと。
受け取りて次第で、いつでも変わってしまうし
言い方、伝え方、表現方法で全部違ってくる。
私の想いをどれだけ伝えても、伝わらないのは事実
伝えたい想いが真実って認めて貰えないのも事実
だって、受け取り手が、受け取り拒否していたらどうしようもない。
全部、同じこと。
誰かの真実の言葉を、私が真実って認められるかどうか?は、私次第。
決めるのは、受取る側。
そんな真実に振り回されるのは、正直勘弁願いたいですね。
それぞれの価値観なんだろうけど、私は「真実は要らない」って思った。
真実を求めるのも、その人の自由。
何を真実として受け取るかも、その人の自由。
変わらない過去があるかもしれないけど、それを受け入れるかどうかも
その人次第。
なんでも、それぞれの人が自由に決めて、自由に選ぶことが出来る。
そんな真実にどれほどの価値があるのか?
私には分からなくなったね。
だから、私は真実は必要ないって思ってる。
私が受け入れたことが、私の事実で真実。
周囲の人たちの言葉を信じるかどうかも私次第。
だから、周囲の人の言葉を真実って認めるかどうかは私が決められる。
そしたら、自分に都合がいい事実ばかり認めるようになるでしょ?
自分に不都合な事実も現実も必要ないでしょ?
そんなモノ真実でも何でもないんだよ。
求める必要が無いね。
私には、真実なんて必要ない。
欲しいのは、私に伝えてくれるあなたの言葉。
あなたが何を言っても、私はそれで嬉しいから。
真実なんてどこ吹く風だよwww




