誰かが私のことを話してる?
私の知らないトコロで・・・
あの人が私の悪口を言っている
見えないけれど、声は聞こえるんだ
バカにする言葉を言われてしまった。
自覚があるから、辛いけど言い返せない
人の言葉に私達は簡単に傷ついてしまう。
傷ついてしまうから、振り回されるし、顔色を伺ってしまうようになる。
私達は嫌われるのが怖い
好かれたい・嫌われたくない。私は弱いから
人は弱い
いや、少なくとも私はとても弱い
人から嫌われている事実を知っていて平気で居られるか?って聞かれて
全然平気だよ!大丈夫だよ!って言えるのは、上辺だけ。
気にしたくないのに・・・気になる
気になりだしたら止まらないから、さらに嫌な気分になっていく
だから離れていく。
距離を取ることで、事実から目をそらして、気が付かないふりをして
気にしていないって
自分には関係のないことだって
なにも問題はないって
自分に言い聞かせて、平気なふりをしている。
「嫌われたくない」
だからって、万人から好かれたいわけでもない。
ただ嫌われているっていう事実を認めたら、また自分を否定する理由が増えて
自分のダメな部分を突き付けられている気がして
辛くなるから。
『自分を全部まるっと全て受け入れて、認めて、大好きなわけじゃないからさ』
自分を認めていないから、他人に認められないのが辛い
自分のコトを好きになれない。
自分のコトを許せない・・・
過去の経験・・・誰かを傷つけた記憶が今でも私にのしかかる
言われた言葉・・・誰かに言われた言葉が今でも私の心に刺さっている
過去と言わず、今現在進行形で誰かに迷惑を掛けているし、誰かの負担になっている気がしてる。
気のせいかもしれないけれど、
思ってしまう。どうしようもないくらいに認められない。
だから、弱い心のよりどころを他人に求める。
自分以外の誰かから認められたいって思うのは、自分を認めてくれる人が現れたら
単純に嬉しいから。
細かい感情の理由はあるんだろう
自分を認められるキッカケになるかもしれない
嫌だったことや、後悔を忘れることが出来るかもしれない
認められない自分との時間では得られない、価値ある時間を手に入れられるかもしれない
自分以外の誰かと居ることで得られる「嬉しい」って言う感情や「楽しい」って言う気持ち
を、手に入れることが幸せって感じられるのは、素敵なコト
その素敵を求めるから、人との繋がりを求めるし
もっと先の、特別な人との関係を夢見るのは大切な「生きる理由」になっていく。
だから私達は人との繋がりを求めているし、人との繋がりなしでは生きていけないのかもしれない。
幸せのカタチを探すのにも、人との繋がりを求めてしまっているのに・・・
他人から認められない
っていう現実は、私達にはとても辛い現実になってしまう。
自分だけでは手に入れられない「幸せのカタチ」を他人との時間に求めているのに、
他人に認められない、受け入れられない、否定されて・・・嫌われる・・・。
それほど辛いことは無いだろう。
だから私達は、他人に認めてもらう努力をしているし、嫌われない方法を選択していくことになる。
他人の言葉を聞いて
誰かの気持ちを優先して
自分以外の誰かに共感して、同じ気持ちになって、同じ状況や時間を同じように過ごそうとしている。
1人が嫌なんじゃない。
一人より良いものを知ってしまったから
嫌われる勇気なんて持ち合わせてない。
1人で生きられるほど強くない。
人に認められて、受け入れられることを願っているのに
周囲の反応や考えを無視して自分の意見や考えを押し通すことなんて出来ない。
「あの人が私のことを嫌っているのは、あの人の問題で、私には関係ない」
何て言えるほど心は強くない。
自分でさえ、自分の問題で苦しんで他人に依存しようとしているのに
他人に否定されていたら、問題が増えるばかり・・・苦しみは増すばかり
「他人の意見を優先していては、自分の生き方を生きられない」
自分の生き方を見失ってしまっているから、他人の意見に依存したいって思ってしまう。
それなのに、他人の意見を聞くことが出来なかったら
生き方を見つけることすら出来なくなってしまう。
私達は、既に他人に依存して、他人の価値観と世界観を聞きながら生きていくことに慣れ過ぎてしまった。
今まで生きて来た環境の中で、他人に受け入れられる努力を求められなかったことは無い。
常に他人の評価と価値観を優先して、
他人に自分を認めてもらう方法を常に探してきた
例えば・・・
面接なんて一番の例だろう
学校や会社に入る。入れて貰う?
その為には、他人に自分を受け入れてもらうための方法が必要になる。
そして、その方法が出来ている人がちゃんとした人で、1人の人として扱って貰えるようになる。
新しい環境での自己紹介もそうだろう。
当たり障りない自己紹介をするのは普通の人。
中には奇抜に爪痕を残そうとする人も居る。
でも、あくまで人に与える印象を考えて、受け入れられやすい方法を選択しているに過ぎない。
面接や自己紹介の時に・・・
いきなり宗教やスピリチュアルの話しをする人なんて居ない。
受け入れられないことを知っているから。
面接や自己紹介じゃなくても同じこと・・・
常に相手に合わせての会話をするだろうし、共通の認識の対応をすることが多いはず。
人と違うことが、受け入れられない・認めて貰えない理由になってしまうから
みんなと同じになりたい。自分の意見や感情より、他人の意見に合わせた方が無難。
「嫌われる勇気なんて持ってないから、嫌われる理由を無くしたい。」
そう思うことは、悪いことじゃないよね?
私達は、最初っから他人に認めて貰って、受け入れてもらう方法を探している。
どんな人も、今まで人に受け入れられる方法をある程度を教えられていて、
それに則って人との付き合い方をしている。
嫌われても良い!なんて思って、実行できる人なんて居ないだろう。
生きていくには人との繋がりが必要なのを知っていて、嫌われるより好かれる方がメリットが大きいことを知っているから。
受け入れてもらう方法を探していて
認めて貰いたい!って願っているのに、
他人に嫌われる勇気を持つ!
なんて、こんな矛盾はないだろう。
万人受けして、誰からも認められないのは分かってる。
でも、受け入れてくれる人が多いに越したことは無い。
だって、私達は1人じゃないんだから・・・
自分が自分の意思か感情だけを優先して、自分の価値観に依存していたら
一緒に居る友人も家族も大変なことになるからね。
だからさ・・・
嫌われる勇気を持って、自分の価値観を大切にすることは素敵かも知れないけれど
私達は、根本的に他人に依存しているんだから
他人に依存することを、自分自身が認めてしまえば楽なんじゃないのかな?
他人に依存している。他人に影響されていて、常に左右されている。
自分の意見も特別持ってないし、どうしたいか?なんて考えたことも少ない。
それで良いじゃない。
自分のコトを好きか?嫌いか?って聞かれて、「嫌い」って答えたっていいじゃないか
私達は1人じゃないんだから
他人が「好き」って言ってくれたらそれで十分だろう。
他人に依存することのメリット・デメリットもあれば
自分軸を大切にして生きていくメリット・デメリットもある
だったら、自分が「楽」って思って生きていく選択をすることは間違いじゃない
結局
それが、あなたらしさになっていくんだろうし
それ自体が、私の価値観に繋がっていくはずだから
ありのままの自分の姿
ありのままの姿自体が、自由にカタチを変えて表現されていい
正解なんかない。
あなたはその生き方で間違ってない。
言い方を変えたら素敵になんだってなるんだよ!
他人に影響されて、顔色を伺って生きてるんじゃない
他人の幸せを一緒に享受することが幸せだと思って生きている!って言えたら素敵じゃない?



