私は何が好き?

私は何が嫌い?

 

自分の思いが分からない。

 

今、自分がいる場所は本当に望んだこと?

どうして私は、これをしている?

 

私の選択は、いつも私の意思とは関係ないって思う時はあるんじゃないかな?

自分への疑問が、私がここにいる意味

 

自分への疑問

「どうして私は?」

後悔する時にも、不安になる時にも、何かを選んで決めて進んでいく時にも

 

自分に対して疑問を持つ。

自分の思いや考えを、疑う気持ちが生まれる時がある。

 

自分を疑って、分からなくなって

選択の正しさを探して、今までの間違いを見つけて

不安と後悔に包まれる。

 

分からない・・・疑問や疑いの答えが見つからない

好きも嫌いも分からなければ・・・

どうしたいのか?何を望んでいるのか?も分からない。

分からないから、目標も目的も見失っていく・・・

 

目指すものを見失うから、生きていく意味や価値を見出せない

 

そして、自分が分からなくなって

否定する気持ちだけが残るようになる。

 

  自分の気持ちが分からないのは

 

自分の気持ちが分からないのに・・・

 

自分が何を望んでいて、叶えたいと思っているのか?

って、聞かれたら大抵の人は「お金」に関係することを望んでいて叶えたいって言うだろう。

 

それなのに・・・

お金で何がしたいか?

お金の使い道なんて答える人は少ない。

 

今の世界を考えれば、当然と言えば当然のこと

お金があれば大抵の望みは叶う。

 

欲しいものも、行きたい場所も手に入る

何より、生きていくことを叶え続けるには、お金が必要だから。

 

でも、その想いは・・・・

何かを叶えたいから望んでいるんじゃなく

お金があれば何でも出来るって思っているから、望んでいる

 

要するに、自分が欲しいモノを手に入れることを願わず

他人から影響されたものを手に入れる為に望んでいるだけ

 

その時々で、影響されるものが変わってたり、自分の環境や状況が変化していく中で

常に何かが足りなくて、他人に影響を受け続けていて、

欲し続けることを前提にしているから、「お金」って言うものを望んでいる。

 

自分の願いや望みが、最初から他人に影響される前提で思っているんだから

自分が本当に願っているものや、自分の思いなんて分かるはずがない。

 

自分自身のことを考えたり、思いを探した時にも

願いと同じように、他人に影響されていくのを前提にしているから

自分の思いを見つけられなくて、分からなくなっていく。

  分からないから、他人に依存したい

 

自分の思いを探す時に、他人に影響されることを前提にしているって言うのは・・・

 

「こう思ったら否定されるかな?」

「こんなことを言ったらダメだろうな?」

「私のやりたいことをしたら、みんなに迷惑かな?」

 

自分の思いを表現することに対しても、他人や周囲の評価や反応を気にしている。

 

常に他人や周囲の反応を考えながら、自分の行動や言葉を選んで

空気を読みながら生きていく。

周囲の反応の是非が、自分の思いを決める理由になっていって

自分の気持ちや考えだけでは、何一つ決めることが出来なくなる。

 

自分の気持ちの正しさや間違いも、自分では分からない。

他人から評価されて、反応をされて、初めて良いのか?悪いのか?を感じる理由になるから

 

自分の思いだけを感じながら生きていたら

他人の反応を気にしないで生きていけたら

 

正しいも過ちもあり得ない。

 

だって、自分だけだったら判断することがないから。

結果は全て感想にしかならない。良いも悪いもなく、只過ぎ去った事実を受け入れるだけになるんじゃないかな?

 

でも、私たちは1人じゃない。

1人で生きているわけじゃないから、他人の評価や感想が必要になる。

他人の言葉を求めているから、自分だけでは決められない。

自分の思いだけを信じて生きていくことが出来なくなる。

他人の言葉がないと、選択は出来ないし、先に進むことも出来ない。

 

だって、周囲の反応と評価がないと自分の気持ちが、良いのか?悪いのか?も分からない。

周囲が評価してくれて、受け入れてくれたら・・・それは正しい!って素敵だって自分も認識出来る

逆に・・・

周囲が受け入れてくれないくて、批判されるようなことになれば・・・それは間違いで、悪ことだって自分でも思ってしまうようになる。

 

自分の思いを決めるのは、自分でありたいけれど・・・

自分自身の思いを決めるのは、周囲の反応と評価に依存してしまっているのが私たち。

 

そして、自分だけでは自分の想いが分からなくなる。

自分の思いを知ることも、決めることも、全部周囲と他人に依存しながら感じるようになるのは

1人で生きられない私たちが弱いからなのかも知れないね。

  疑問を持つことに意味がある

 

自分の気持ちも自分では分からない。

仮に何かを感じたとしても、自分では決められないし、選べない

誰かの言葉がないと、自分の気持ち一つ自由にすることが出来なくなっている。

 

それでも私たちは自分の気持ちを探そうとする。

 

自分の気持ちが分からないのに、他人から聞かれることもある。

「どう思う?」って

・・・そんなの分からない。

私が私の気持ちが分からないように、相手も自分の気持ちが分からないから。

お互いに聞き合うことが生まれてくる。

 

誰かに聞かれた時に・・・初めて自分の気持ちを表現する必要が出来てしまう。

自分の気持ちを表現して、伝えないといけない状況が生まれるから・・・

自分自身の気持ちを知らないと、困るときが来てしまう。

 

他にも・・・

自分の思いを知りたくなる時があるだろう・・・

好きな人や、大切なものを見つけた時

限られた時間を、意味ある時間にしていくために、取捨選択や優先順位を付けるとき。

自分の夢や願望を願うとき・・・

 

自分の本当の思いを知って行動したいと思った時や、今の自分の現状を見つめ返した時に

自分自身に疑問を持つことになるだろう。

 

「どうして私は?」って

「私はどうして?」って

「なんで?」

 

答えを探しても見つからないのは分かってる。

でも、自分自身に問いかけるときがある。

 

「答えはいつも、自分の中にある!」

かもしれないけれど、是非を決めるのは自分だけじゃない。

だから答えが見つからない疑問になって、解決できないモヤモヤになっていく。

それが、焦燥感になって不安や心配の一つになるんだろう。

 

でも・・・・

そうなってしまうのは、答えを求めているから

疑問や質問に答えを求めるのは必然かもしれないけれど・・・

出ない答えがあるから、私たちは悩み立ち止まることになる。

大切なのは

自分の思いを聞こうと思ったこと自体が、大切なキッカケ

見つからない答えかもしれないけれど、

自分に対して・・・

自分の思いに対して疑問を持って、探そうとしたことが

私たちの思いって言えるんじゃないだろうか?

 

私たちは、自分自身に対して疑問を持っている。

自分の本当の思いを探そうと感じている。

 

それこそが私達が、他の誰にも依存しない疑問で感情になっていくんじゃないだろうか?

 

疑問っていう形の「自分の自分に対する思い」

疑いっていう、迷いっていう「自分の本当の思い」

 

その想いがあること自体が、私たちが感じられる大切な本当の想いって言えるんじゃないかって

私は感じるよ。

 

疑問

それが、私たちが生きているっていう証明になるんだよ。

答えは分からなくて良い。

答えが分かるのは、一番最後になるだろうからね。

 

今は、疑問を大切にしていくことが、自分の思いを感じて大切にしていくっていうことに繋がっていくんだよ。