誰かに良いトコロを見せたいって思うのは人の性

 

相手に好意を持っていたらそれはより強い想いとして表れる。

 

そして、失敗するのは自分の力以上の何かを見せようとするから。

 

自分を作って、飾って、良いトコロを集めて

結局うまくいかないのは、私だけ?

 

上手くやりたいのは、良いこと?

 

高い目標を持って、そこを目指して努力する。

本当に素晴らしいことだろう

 

誰かに、自分の良いトコロを見せたくて

上手くやろうとして、その為に準備して、練習して、演出する。

 

結果だけを誰かに見せて、結果を評価してもらおうと思ったら必要なコト

 

特に、社会で生きていこうとしたら、良い結果を出すために・・・

良いトコロを見せるために、日々努力して積み上げていくのは大切な行動だろう。

 

でも、上手くいくことなんて本の一握りのわずかな時しかない。

他の多くの場合が、失敗・・・

上手くいかなくて、立ち止まって足踏みすることになる。

 

もし、その結果が善し悪しに関わらず

その過程を見ていてくれる人が居たら、きっと評価してくれるんだろうし

過程の積み上げている姿を見てくれる人が居たら、結果より過程を大切に思ってくれるかもしれない。

 

過程を認めてくれる人との出会いは、私達にかけがえのない大切なモノを教えてくれる存在になる。

実際はそんなうまくいくことは無いんだけどね。

 

上手くやろうとして、結果が出なくて苦しむのが私達だから。

 

  上手くやる?それは何を求めてる?

 

上手くやろうとするのは、何のため?

 

好意を持っている人からの評価が欲しいから?

会社での評価や実績が欲しい?

 

他人の評価が欲しいのは、人として当たり前のことだろう。

その為に沢山の経験をするわけだろうし、勉強したり準備したりしてより良い評価の為に行動する。

 

他人からの評価が私達の生活を支えているわけだから、それは必要なんだろう。

同じように、私達も常に誰かを評価しながら生きている。

 

この人は、私にとってメリットがある

この人は、一緒に居て楽しい

あの人は、私に害がある・・・メリットがない

 

そうやって人を評価するから、他人からの評価を求めて私達は生きていくことになる。

 

自分が他人に対して求めているモノを

自分が他人に対して与えられたら評価してもらえる!って思うから、

他人に求めているモノを、自分自身にも求めるようになる。

 

他人と自分は違うのに・・・

他人が持っているモノや出来るモノでさえ、自分自身に対して求めることになる。

自分が他人を評価しているのは、自分の持っていないモノを他人が持っているから

他人の持っているモノを欲するから、自分自身にも同じものを求めて・・・

でも、簡単には手に入れることが出来ない。

 

だから、私達は上手くやろうとしてしまう・・・。

手に入らないことを知っているから、上手くやって手に入ったふりをしようとする。

 

求めているのは、

自分が持っていないモノ

誰かの特別なモノを求めるから、私達は手に入らない。

 

それでも勝ちたい!誰かの評価が欲しいって思うから、上手くやろうとしてしまう。

出来もしないのにね

 

  求めることを止めるまで、永遠に続く泥沼

 

私達は、人を評価する。

良くも悪くも、他人の結果を見て・・・過程を見ながら人の良いトコロと悪いところを分けようとする。

 

他人の価値観で、人を評価するなんて本当に無意味で価値がないはずなのに

自分の価値観を他人に押し付けて、他人と自分を比べてしまう。

 

そして、自分の持っていない部分を見つけて・・・

相手を認めることが出来る。

認めると同時に、自分はそれを求めてしまう。

欲しいと願って、手に入れたいと思い、努力をすることもあれば・・・奪おうとすることもある。

人は残念な生き物だから。

手に入れたいモノが手に入らない時には、相手を貶める事すらしてしまう。

 

上手くやろうとして、上手く出来なくて・・・

成功しようとして、出来なくて・・・

でも、出来ている人がいて、手に入れている人が居たら・・・

奪ったり、陥れたり・・・

 

人と自分は違うのに、人の持っているモノを見て自分がその人を評価してしまっているから

他人のコトを羨ましく思ってしまう。

 

結局、自分自身が他人を認めているから

自分も手に入れようとして、上手くやろうとしてしまう。

 

自分が他人に対して持っている感情と同じものを、誰かから欲しいと願うから

私達は、自分自身が手に入れられないようなものを望んでしまうことになる。

 

自分自身が他人と自分を比較しているから

他人の持っているモノを求めて、出来ないようなことをやろうとしてしまう。

 

全部自分自身から生まれている感情。

自分が思うから、その人をうらやむ気持ちが生まれている。

あなたが誰かを、自分より優れているって認めて評価しているから。

 

それは、終わりのない泥沼だろう

自分自身がしている、他人への評価があるかぎり・・・

終わりはない

仮に上手くいって、成功したとしても・・・

自信が誰かを見て、自分と他人を比較している限り

上手くいって終ることなんてない。手に入ったふりを出来たとしても、なにも解決はしない。

 

 

  私は私。それが上手くやらなくていい選択

 

私とあなたは違う人です。

 

あなたの持っているものは、私は手に入れることは出来ない。

 

あなたが素敵なのは、何かを持っているからじゃない

あなただから素敵。

仮に何も出来なくても、何も持っていなくても、

あなたの魅力は、私じゃないコト。

 

私は、私が持っているものしか持つことが出来ない。

あたなが持っているものを、私は望まない。

あなたの持っているモノを私が手に入れても、誰も私を評価はしてくれない。

同じものを持って、評価してくれることがあるんだとしたら

それは、私じゃなく・・・

【モノ】に対しての評価だろう。

 

モノの評価に私達は左右されがちだけど、私のあなたに対する評価はモノじゃなく、あなた自身を魅力だと感じるから。

 

そう感じることが出来れば、きっと私もあなたももっと心が軽く

自由な気持ちで人と接することが出来るようになるんだろうね。

他人の持っているモノを見ないで、その人だけを見ることが出来れば・・・

子供が人を見るように、真っ直ぐに綺麗な気持ちで人を見ることが出来れば・・・

 

私達は、自分自身に対しても

同じように、真っすぐ気持ちよく見つめ合うことが出来るようになるんだろう。

なにもかも、自分自身が他人を見る見方と評価があるから

自分も相手も楽しくない生き方をするようになってしまう。

 

もっと、気軽に相手の本質だけを見ることが出来れば、自分と他人を比較することなく受け入れられるんだろう。

その先に、自分のコトも作らず、飾らず、ありのままの自分を受け入れる時が来るんだよ。

 

全部、自分が作っているだけなんだから、

自分の世界を、世界を作る価値観を壊すことが出来るのも自分自身なんよ

 

気軽にぶっ壊して行こ